
朝のキッチン。
水をくぐった豆がぽとん、ぽとん、とドリップされていく音だけが、部屋の中にある。
テレビもラジオもつけず、スマホも裏返しに置いた。 何かを遮断したいわけじゃない。
ただ、音がいらないだけだった。
コーヒーの香りが部屋に満ちていく。 それだけで、ちょっとした救いのような気がした。
湯気が立って、ふう、とひと息。 その瞬間、ふと気づく——誰とも話してないことに。
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「孤独」という言葉は、
いつもどこか劇的すぎる。
でもこの感じは、たとえば洗濯物が乾ききる前の湿った匂いみたいな。
あるいは、冷めかけたスープの表面にできたうすい膜みたいなものだ。
誰かがいないというだけじゃなくて、 誰かに話したいと思わなくなる感じ。
カップを手にしたまま、私は自分のことばかり考えている。 昨日のあの返事はちょっと冷たかったかもしれない、とか、
なんでLINEの返信、すぐできなかったんだろう、とか
コーヒーの温度が下がっていく間に、 私の思考もだんだん冷えて、静かになっていく。
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冷めたコーヒーは、味が変わる。 少し酸っぱくなって、苦味が際立つ。
でもそれが、悪いというわけでもない。
温かい時には気づかなかった輪郭が、
そこにある。
孤独も、そうかもしれないと思う。
あたたかい会話や、にぎやかな笑い声の中では見えなかった何か。
それが、ひとりの時間にふっと現れる。
誰とも話さず、ただ自分の内側をなぞるように過ごす時間。 それは時に、不安よりも穏やかだ。
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もう一口、冷めたコーヒーを飲む。
わるくない、と思った。
誰かに会いたいとも思わないけれど、 誰かを嫌っているわけでもない。
ただ、ひとりでいる今を、誰にも見せずに受け入れているだけだ。
カップの底に少し残ったコーヒーを見て、 「もうちょっと、あたためようかな」と思った。
それは、心のどこかで、 「そろそろ誰かに会ってもいいかも」と思ったからかもしれない。