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LIFE ESSay『夢に出てきた父の背中』MAY 13.2025-Mor.Tuesday

夢のなかで、父が歩いていた。
うしろ姿しか見えなかったけれど、あれはたしかに父だった。


ゆっくり歩いていて、何度も振り返りそうで、でも振り返らなくて。

わたしは、その背中をただ、黙って追いかけていた。


父の背中は、いつもどこか遠かった。
家にいても、仕事をしていても、テレビを見ていても、父はどこかに「行こうとしている人」だった。

物静かで、怒らず、笑わず、叱ることもなかった。やさしかったけど、やさしさは、たとえば硬いソファのようだった。


寄りかかれるけれど、包んではくれない。


冷たくはないけど、あたたかくもない。そんな感じ。



「父」としての彼と、「人」としての彼。
その境界が、ずっとわからなかった。

でも、夢のなかの父は、ただの“人”だった。


背中に、名前が書いてあるわけでもなく、
どこかに向かってる気配だけを残して、静かに歩いていた。


目が覚めて、なぜか涙が出た。
なつかしいとか、恋しいとか、そういう感情じゃなくて、
「やっと、追いつけた」みたいな、変な達成感。

でもすぐに気づいた。
わたしは夢の中でも、結局、父の背中に声をかけなかった。


振り返ってほしいのに、呼び止めたいのに、
それができなかった。


たぶん、もう、何かを伝えたかったわけじゃないんだ。


ただ、**「同じ時間を歩いていた」**ってことが、
それだけで、奇跡みたいに思えたんだと思う。


父はもういない。
現実には、会えない。



でも、“背中”っていう不思議な部分だけが、
ずっと、わたしのなかに残ってる。

あれはきっと、「父」じゃなくて、
「自分のなかの父」だったのかもしれない。


わたしが覚えているのは、
父の顔じゃなくて、背中だった。

背中って、最後に残る風景なんだと思う。
人が誰かを追いかけた記憶って、たいてい背中のままだ。

そしてきっと、
自分もいつか、誰かの“背中の記憶”になるんだろう。


🫧 読者への問い

あなたの中に、忘れられない“背中”はありますか?


📌 #LIFEESSay #夢に出てきた父の背中   #家族の記憶 #背中で語る人