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PERSOna Essayist Special『孤独ビジネスと心の値段』 MAY 12.2025-Nit.Monday

副題:誰かを頼ることが“サービス”になる時代に、わたしは何を失ったのか

ひとりで暮らしている。
というと、なんとなく「自由そうだね」と返される。

だけど、“ひとりでいられる自由”と、
“ひとりでしかいられない現実”は、まるで意味が違う。

私は後者の方で、いくつもの夜を越えてきた。


最近、「孤独ビジネス」という言葉を耳にすることが増えた。

“高齢者の見守りサービス” “レンタル家族” “おしゃべり代行” “24時間LINE相談”
そこにあるのは、「心の空白」を埋める仕組み。

料金表があって、コースがあって、延長すれば追加料金が発生する。

心を預けることが、商品になっている。


私はそれを否定するつもりはない。
むしろ、それで救われる人がいるのなら、必要なものだと思う。

だけど、ある日ふと、こんな問いが浮かんだ。

「誰かに頼ることに、お金が要るって、どういうことなんだろう?」


わたしはかつて、家族の中にいても孤独だった。笑っていたけれど、誰にも本音を話せなかった。

だから、声をかけてくれる人がいたら、
それだけで世界が変わる気がしていた。

けれど現実は、誰も“無償で”声をかけてくれるほど暇じゃない。

大人になると、関係性も時間も、 全部“予定”と“対価”で成り立っている。


ある日、
試しに「話し相手サービス」を利用してみた。
相手は年下の女性で、丁寧に名前を呼んでくれた。

「Naoさん、今日もお疲れさまです」
その言葉に、胸がふっとゆるんだ。
何かが満たされた気がした。

でも、30分後、通話が切れたとき、
その満たされたはずの場所に、また空洞が広がった。


孤独ビジネスは、“孤独を埋める”のではなく、
“孤独を忘れる”ためのものなのかもしれない。

それはある意味で救いだけど、 根本から変わるには、もっと別の何かが必要だ。


思う。

わたしたちは、「頼ること」そのものに、
どこかで罪悪感を抱いてきたのではないか。

「誰かに頼ること=弱さ」 「ひとりで頑張ること=正しさ」そんな公式を、いつの間にか信じてきた。

だけど、本当は逆なのかもしれない。

“頼れる人がいること”が、一番の強さだったのかもしれない。


自分として、私は問い直したい。

心の値段は、誰が決めたのか。
孤独が商品になったとき、私たちは何を手放したのか。

そして、それを取り戻すには、
誰かの優しさを“買う”のではなく、
まず自分が、誰かに手を差し出すことなのかもしれない。

今日も誰かが、「寂しい」とつぶやいている。

私は、その声を、そっと拾ってみたいと思っている。