
「人間って、声だけでも、抱きしめられるんだね。」
それは、母が最期に残した言葉だった。
午前1時5分。
部屋の明かりを落として、ただラジオの声だけが空気を震わせていた。
眠れない夜だった。というより、眠ってはいけない夜だった。
母の呼吸が小さく、でも規則正しく揺れている。
その横で私は、何度も何度も繰り返される夜の沈黙に、怖さを感じていた。
だけど、あの声が、救ってくれた。
「こんばんは。ラジオ深夜便の時間です──」
たったそれだけで、なぜか泣けてしまった。
この番組は、35年間も“眠れぬ者たち”のそばに寄り添ってきた。
病室の中で、
一人暮らしのアパートで、
失恋の夜、
介護の合間、
夜勤明けのベッドの上──
誰にも気づかれないまま流れていく時間に、
声だけが灯りのように寄り添っていた。
“誰かが、どこかで、自分のためだけに話しかけてくれている。”
それは、孤独を抱えて生きる者たちにとって、
祈りにも似た救いだった。
私は思う。
なぜ、人は声に癒されるのか。
なぜ、画面のないその「間」が、こんなにも温かいのか。
きっとそこには、“聞こうとする姿勢”があるからだ。
ラジオは、聞き手に語りかけながら、同時に“耳を傾けて”いる。それは対話ではなく、“共鳴”なのだ。
あなたが眠れない夜は、
誰かもまた、眠れない夜を過ごしている。
そして、その誰かが、あなたにこう呼びかけている。「今夜も、聞いてくれてありがとう」
「ラジオ深夜便」は番組ではない。
それは、夜の声で編まれた、人間の記憶の集積なのだ。
今も時折、ラジオをつけて耳を澄ます。
それは、母の声の残響を探している時間かもしれない。
そして私は、今日も願う。
声には、心を運ぶ力がある。
目に見えない想いが、深夜1時に、誰かの胸をノックする。
沈黙のなかでしか聞こえない“声”がある。
そしてその声に、人生を救われる夜も、確かにある。
──孤独を知るすべての人へ。