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LIFE ESSay『孤独が、少しだけやさしくなった日』MAY 16.2025.Mor.Friday

私はうつ病で休職していた時期がある。



日中はほとんど寝たきりで、
目覚めても、時間の感覚がうまく戻ってこなかった。

時計を見るたび、
「ああ、今日もまだ一日が終わらない」と思っていた。
テレビも、スマホも、頭に入らなかった。


誰かと話すことも、
誰かの声を聞くことも、どこか遠い世界のことのようだった。


そんなある日、主治医から
「週に1度、外に出てみませんか」と言われた。




半信半疑で、
近くの障害者施設のボランティアに通い始めた。そこにいたのは、子どものように無邪気な大人たち。




天真爛漫で、
悪意という言葉が似合わない人たちだった。
軽作業を手伝いながら、
私は“社会の端っこ”に足をかけたような気がした。

その時間は、たしかに救いだった。
自分が誰かのために何かをできる感覚を、
私は久しぶりに思い出した。


けれど、日が経つにつれて、
少しずつ“歪み”も見え始めた。

「もっと来てほしい」
「車を出してくれない?」

そんな頼まれごとが、
ボランティアであることの境界をじわじわと曖昧にした。

私は人の車を使えないし、
薬の関係で運転もできない。
ペーパードライバーだと伝えても、



「でも免許はあるでしょ?」と不満げな空気が返ってきた。


誰かの期待に応えられないことが、
こんなにも苦しいとは思わなかった。

そもそも、“リハビリ”のつもりだったのに、
いつの間にか“責任”を背負っていた。


ボランティア仲間から、
年齢や住んでいる場所を根掘り葉掘り聞かれた日もあった。




「ここでなら、静かに過ごせるかも」と思っていたのに、“社会の縮図”は、どこにでも存在していた。

それでも、1年以上は通った。
きっと、何かにしがみつきたかったのだと思う。

でも、ある日、手を切ってしまって辞めた。
補償は何もなかった。




でも、
深入りする前に離れられて、本当に良かったと思っている。


それからしばらく経って、
私は気づいたことがある。

「孤独」は、敵ではなかった。
それは、時に自由でもある。

誰かの中にいて疲れるくらいなら、
一人の部屋で、好きなゲームをしたり、



ヨガマットに寝転んで空を見ていたほうが、
よっぽど心が落ち着いた。


週に一度の外出さえ、
私にはかなり無理をしていたということも。



帰ってからは、
ベッドに倒れこむように寝込んでいた。


そんな日々に、
ちゃんと“気づけた”自分を、いまは少しだけ、褒めてあげたいと思う。


孤独は、やさしいものになり得る。




そして、
それをどう生かすかは、自分次第

私はうつ病で休職していた時期がある。



日中はほとんど寝たきりで、
目覚めても、時間の感覚がうまく戻ってこなかった。

時計を見るたび、
「ああ、今日もまだ一日が終わらない」と思っていた。
テレビも、スマホも、頭に入らなかった。


誰かと話すことも、
誰かの声を聞くことも、どこか遠い世界のことのようだった。


そんなある日、主治医から
「週に1度、外に出てみませんか」と言われた。




半信半疑で、
近くの障害者施設のボランティアに通い始めた。そこにいたのは、子どものように無邪気な大人たち。




天真爛漫で、
悪意という言葉が似合わない人たちだった。
軽作業を手伝いながら、
私は“社会の端っこ”に足をかけたような気がした。

その時間は、たしかに救いだった。
自分が誰かのために何かをできる感覚を、
私は久しぶりに思い出した。


けれど、日が経つにつれて、
少しずつ“歪み”も見え始めた。

「もっと来てほしい」
「車を出してくれない?」

そんな頼まれごとが、
ボランティアであることの境界をじわじわと曖昧にした。

私は人の車を使えないし、
薬の関係で運転もできない。
ペーパードライバーだと伝えても、



「でも免許はあるでしょ?」と不満げな空気が返ってきた。


誰かの期待に応えられないことが、
こんなにも苦しいとは思わなかった。

そもそも、“リハビリ”のつもりだったのに、
いつの間にか“責任”を背負っていた。


ボランティア仲間から、
年齢や住んでいる場所を根掘り葉掘り聞かれた日もあった。




「ここでなら、静かに過ごせるかも」と思っていたのに、“社会の縮図”は、どこにでも存在していた。

それでも、1年以上は通った。
きっと、何かにしがみつきたかったのだと思う。

でも、ある日、手を切ってしまって辞めた。
補償は何もなかった。




でも、
深入りする前に離れられて、本当に良かったと思っている。


それからしばらく経って、
私は気づいたことがある。

「孤独」は、敵ではなかった。
それは、時に自由でもある。

誰かの中にいて疲れるくらいなら、
一人の部屋で、好きなゲームをしたり、



ヨガマットに寝転んで空を見ていたほうが、
よっぽど心が落ち着いた。


週に一度の外出さえ、
私にはかなり無理をしていたということも。



帰ってからは、
ベッドに倒れこむように寝込んでいた。


そんな日々に、
ちゃんと“気づけた”自分を、いまは少しだけ、褒めてあげたいと思う。


孤独は、やさしいものになり得る。




そして、
それをどう生かすかは、自分次第

私はうつ病で休職していた時期がある。



日中はほとんど寝たきりで、
目覚めても、時間の感覚がうまく戻ってこなかった。

時計を見るたび、
「ああ、今日もまだ一日が終わらない」と思っていた。
テレビも、スマホも、頭に入らなかった。


誰かと話すことも、
誰かの声を聞くことも、どこか遠い世界のことのようだった。


そんなある日、主治医から
「週に1度、外に出てみませんか」と言われた。




半信半疑で、
近くの障害者施設のボランティアに通い始めた。そこにいたのは、子どものように無邪気な大人たち。




天真爛漫で、
悪意という言葉が似合わない人たちだった。
軽作業を手伝いながら、
私は“社会の端っこ”に足をかけたような気がした。

その時間は、たしかに救いだった。
自分が誰かのために何かをできる感覚を、
私は久しぶりに思い出した。


けれど、日が経つにつれて、
少しずつ“歪み”も見え始めた。

「もっと来てほしい」
「車を出してくれない?」

そんな頼まれごとが、
ボランティアであることの境界をじわじわと曖昧にした。

私は人の車を使えないし、
薬の関係で運転もできない。
ペーパードライバーだと伝えても、



「でも免許はあるでしょ?」と不満げな空気が返ってきた。


誰かの期待に応えられないことが、
こんなにも苦しいとは思わなかった。

そもそも、“リハビリ”のつもりだったのに、
いつの間にか“責任”を背負っていた。


ボランティア仲間から、
年齢や住んでいる場所を根掘り葉掘り聞かれた日もあった。




「ここでなら、静かに過ごせるかも」と思っていたのに、“社会の縮図”は、どこにでも存在していた。

それでも、1年以上は通った。
きっと、何かにしがみつきたかったのだと思う。

でも、ある日、手を切ってしまって辞めた。
補償は何もなかった。




でも、
深入りする前に離れられて、本当に良かったと思っている。


それからしばらく経って、
私は気づいたことがある。

「孤独」は、敵ではなかった。
それは、時に自由でもある。

誰かの中にいて疲れるくらいなら、
一人の部屋で、好きなゲームをしたり、



ヨガマットに寝転んで空を見ていたほうが、
よっぽど心が落ち着いた。


週に一度の外出さえ、
私にはかなり無理をしていたということも。



帰ってからは、
ベッドに倒れこむように寝込んでいた。


そんな日々に、
ちゃんと“気づけた”自分を、いまは少しだけ、褒めてあげたいと思う。


孤独は、やさしいものになり得る。




そして、
それをどう生かすかは、自分次第なのだと思う