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LIFE ESSay『誰かの名前を忘れたとき』MAY 08.2025-Mor.Thursday

思い出せない、という罪悪感

「名前が出てこない」。
その事実に気づいた瞬間、胸の奥に小さな波紋が広がる。

顔は思い出せる。声も、仕草も、笑ったときの雰囲気だって。なのに、どうしても名前だけが出てこない。

そして気がつく。
それは記憶の問題じゃなくて、心の問題だと。


あの人の存在を、私はどこかにしまい込んでしまっていたのだと。



名前が持つ「存在」の重さ

人の名前には、その人そのものが宿っている。

名前を呼ぶことで、私たちは相手を「ここにいる」と認識する。

名前を思い出せないことは、記憶から人を追いやってしまうことと似ている。

だから、「顔はわかるけど名前が出てこない」という言葉には、どこか罪悪感がつきまとう。

「ちゃんと大事にしてこなかったのかな」
そう思ってしまうのだ。


忘れられることの、さみしさ

逆に、自分が誰かの記憶の中で「名前を忘れられた人」になっていたとしたら。

それが悪意のあることじゃなくても、少しだけ切ない。

でも、だからといって責めることはできない。


私だって、何人の名前をこぼしてきたか分からないのだから。



記憶の棚にしまわれた人たち

記憶には限界がある。

すべてを抱え込むことはできない。
だから、誰かを忘れてしまうこともある。

だけど、その人と過ごした時間がなかったことになるわけじゃない。

それでも私は、やっぱり思い出したい。
名前まで、ちゃんと。


その人がいたことを、ちゃんと自分の中で肯定したいから。



ある日、名前が戻ってくる

不思議なことに、思い出そうとするのをやめたころ、名前はふいに戻ってくる。

洗濯物を干しているとき。
冷蔵庫から水を出したとき。
ふと流れてきた曲のイントロを聴いた瞬間。

「◯◯さんだった」と、静かに思い出す。
そのとき私は、心の中でその名前をそっと唱える。

「おかえり」と、言うように。



そして、私は忘れない努力をする

記憶は、思い出すことで生きている。
だから私は、できるだけ名前を思い出すようにしたい。

名前は、その人の人生の音色。


たとえ、もう会うことがなかったとしても、

あの人の名前が私の中に生きている限り、

私たちの間にあった時間も生きている気がする。