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PERSOna Essayist Special『国策と個人の“幸福”のズレ』MAY 03.2025-Nit.Saturday

「国が考える幸福」と「私が感じる幸福」。

それは、こんなにも違うのだろうか?

“True happiness is never measured in GDP.”

「本当の幸福は、GDPでは測れない。」



たとえば、私たちは政府から「豊かな国になった」と繰り返し聞かされてきた。

経済成長、GDP上昇、国際競争力ランキング。

数字は誇らしげに掲げられ、ニュースでは「国民の生活水準は過去最高」などという見出しが躍る。

けれど、ふと足元を見ると、胸に刺さる違和感がある。

周囲には働きづめの人、心を病む若者、未来を諦める老人たちがいる。

便利さは増したけれど、本当に「豊かさ」が増えたのだろうか?



私たち一人ひとりの「幸福」は、統計では測れない。

昨日まで笑っていた友が、突然いなくなる。
家族を支えようと必死で働いた人が、孤独に押しつぶされる。

政策の成功がどれだけ叫ばれても、
小さな日々の中で誰かがこぼしたため息を、
国は拾ってはくれない。

国は「平均」を語る。
でも、私たちが生きるのは、
たった一つしかない個別の人生だ。



思い出すのは、子どものころ母が作ってくれた弁当。

不格好だけど、隅々まで愛が詰まっていた。
他の誰にも代えがたい、小さな「幸福」。

国の幸福指標に載ることはないけれど、
あの日感じた温もりこそ、
私にとっての「豊かさ」だった。



もし本当に、国が国民の幸福を願うなら。


それは経済の数字だけではない、
誰か一人の静かな笑顔を守ることではないだろうか。

国策は必要だ。


だが、私たちが守りたい幸福は、
もっと小さく、もっと個人的で、もっとかけがえのないものだ。



「──幸せってさ、国が決めることじゃないよね。
自分の心にしか、本当はないんだよ。」


【エピローグ】


今日もどこかで、誰かが笑った。

小さな幸せを抱えて、明日へ進もうとしている。

それだけでいい。



数字には表れない「本当の幸福」は、

きっと、あなたのすぐ隣にある。