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PERSOna Essayist Special 『数字で語られる命の違和感』 MAY 03.2025-Aft.Saturday

今日も、テレビの向こうで誰かが言った。
「きのう一日で、1,784人が亡くなりました」

で?

数字だけが、テロップでスッと流れていく。
まるで気温や降水確率みたいに。

でもさ、1,784人って—— その一人ひとりに、

名前があってさ。
朝食べようと思ってたパンがあって。
帰ろうとしてた家があって。


電話しようと思ってた誰かがいたんだよね?

私たち、いつからそんな“誰か”を 簡単に「数」で済ませるようになったんだろう?

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【医療現場】

病院の廊下で、ある看護師がこぼした。
「今日は何人目だろう……もう数えてない」

現場では“誰か”が“何番目”に変わる。
声をかける暇も、目を閉じる時間もない。

だけど夜、ナースステーションで その人は小さな声で言ったんだ。 「手、冷たかったな……」

現場は、数字より先に涙を知っている。
だけど、泣いてばかりいられない。


命を守る側に、余裕なんてないから。

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【遺族の声】

「母は、ただの“1人”だったのか?」
そう呟いたのは、葬儀を終えたばかりの青年だった。

テレビの数字を見た瞬間、
「うちの母もあの中のひとつか」って
思ってしまった自分が、 一番怖かった、と。

家族だったはずの命が、
いつの間にか”統計”に飲み込まれていく。

悲しむ暇すら、整理される。 葬儀社の時間、行政の手続き、 そしてニュースのテロップ。

「うちの母は、“1”じゃない。 甘い卵焼きを作るのがうまくて、 口うるさいけど、本当は優しい人だった」

そう言って泣いたその横顔を、 私は忘れない。

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【報道の視点】

ニュースキャスターの手元に並ぶ原稿。
そこには「死亡者数:1,784人」とだけ書かれていた。

彼らの仕事は”伝えること”。
だけど、その中に”抱えること”は含まれていない。

原稿を読む声が揺れる日もある。 でも、揺れたらいけない。 “感情を出したら不公平”だから。

「命の重さは平等に」って言うけど、 あまりに均等にされすぎて、 重さが感じられなくなってるんじゃないか。

報道は、伝えようとしてる。
でも、数字じゃ伝わらないことばかりなんだ。

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【結】

1,784。

この中に、もしかしたらあなたの大事な人がいる。 もしくは、あなただってこともある。

命は、「数」になるために生きてるわけじゃない。

1という記号の向こうには、 生きた痕跡、揺れた心、言えなかった言葉がある。

あの数の向こうに立っている、ひとりの私です。 そしてあなたに、是非聞きたい。

次にこの数字を見た時、 あなたは何を思いますか…….