
若いころは、「人生にはちゃんと答えがある」と思っていた。 やりたいこと、進むべき道、選ぶべき正解。 たくさん悩んで、考えて、間違わないように生きるのが“いい人生”だと。
でも歳を重ねるごとに、その「正解」がどこにもないことに気づき始めた。
どれだけ真剣に選んだ道でも、あとから「違ったかも」と思うことがある。 逆に、迷って仕方なく選んだ道が、意外にも自分を救ってくれたりもする。
つまり、人生には“ゴール”より“途中”の方が大事なのかもしれない。
朝、パンが少し焦げた。 それだけで一日がうまくいく気がしなくて、 ふてくされていた自分が、昼過ぎに友人の一言で救われた。
夕方、買い物帰りに道に迷って、 知らないパン屋に入ったら、涙が出るほど美味しいスコーンに出会った。
予定通りにいかなくてよかった。 それがなければ、この偶然には出会えなかった。
人生の中には、こういう“ズレ”や“ブレ”が 大切な瞬間を連れてくることがある。
たとえば、今の自分に満足していない人がいるとしたら。 何者にもなれていない気がする人がいるとしたら。
それでも、今、何かを考えている“途中”にいるなら、 それだけで十分、価値があると思う。
誰かに追いつこうとしたり、 完璧なかたちにしようと焦ったり、
そういう“終わり”を求めるより、 “考えながら歩いている自分”に目を向けてみてもいい。
私は、いまだに人生の問いにちゃんと答えられない。 だけど、問いの途中で出会う人や言葉や景色が、 たまらなく愛おしいと思えるようになった。
それって、答えよりずっと確かな“答え”かもしれない。
誰かの一言が支えになったり、 何気ない一日の中に、ヒントみたいな瞬間があったり。
そういう“途中”をちゃんと見つめられる人でありたい。
いつか人生が終わるとき、 「あの時間が、答えだったのかもしれない」と、 静かに思えるような終わり方ができたら。
きっと、わたしはそれでいいと思える。