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PERSOna Essayist Special『なぜ会いたい理由が言えないのか』APR 24.2025-Nit.Thursday

「会いたい」と言えないのではなく、
「なぜ会いたいのか」を言葉にするのが難しい。

それは、会いたさの正体が、 時に自分でもわからないくらい、 ぼんやりとしている、かもしれないのか。



たとえば、 疲れた日々の中でふと浮かぶ、誰かの名前。 理由なんてない。 その人の声を聞いたら、少し泣きそうな気がする。

そんなとき、 「会いたい」とだけ伝えるのは簡単でも「どうして?」と聞かれると、詰まってしまう。



理由を探せば探すほど、 会いたい気持ちが嘘っぽくなる気がして、 黙ってしまう。

だけど、本当は── その沈黙こそが、一番正直な“会いたさ”なのかもしれない。



言葉にできる気持ちは、すでに少し整理されていて、 言葉にできない気持ちは、まだその途中にある。

その未整理なままの思いを抱えて、 それでも誰かに近づきたいと願うこと。 それが「会いたい」の本質なのだと思う。



誰かに会いたいとき、 私たちは実はその人の姿や声以上に、 「その人がいる空気感」や「その人がくれる安心感」を 求めているのかもしれない。



だから、理由が言えなくてもいい。 会いたいと思った瞬間の心の温度を、 自分自身がちゃんと感じられていれば。

「なんとなく会いたい」は、 案外、とても大切な心のSOSだったりするのだから。

その曖昧さを、 ただ曖昧なまま、大事にできたらと思う。


Epilogue

理由のない「会いたさ」ほど、 本当は心の深いところでつながっている証かもしれない。

もしそれを伝える勇気が出ない日には、


せめて、自分の中のその思いにだけは、
ちゃんと耳を傾けてあげよう・・・