
「会いたい」と言えないのではなく、
「なぜ会いたいのか」を言葉にするのが難しい。
それは、会いたさの正体が、 時に自分でもわからないくらい、 ぼんやりとしている、かもしれないのか。
たとえば、 疲れた日々の中でふと浮かぶ、誰かの名前。 理由なんてない。 その人の声を聞いたら、少し泣きそうな気がする。
そんなとき、 「会いたい」とだけ伝えるのは簡単でも「どうして?」と聞かれると、詰まってしまう。
理由を探せば探すほど、 会いたい気持ちが嘘っぽくなる気がして、 黙ってしまう。
だけど、本当は── その沈黙こそが、一番正直な“会いたさ”なのかもしれない。
言葉にできる気持ちは、すでに少し整理されていて、 言葉にできない気持ちは、まだその途中にある。
その未整理なままの思いを抱えて、 それでも誰かに近づきたいと願うこと。 それが「会いたい」の本質なのだと思う。
誰かに会いたいとき、 私たちは実はその人の姿や声以上に、 「その人がいる空気感」や「その人がくれる安心感」を 求めているのかもしれない。
だから、理由が言えなくてもいい。 会いたいと思った瞬間の心の温度を、 自分自身がちゃんと感じられていれば。
「なんとなく会いたい」は、 案外、とても大切な心のSOSだったりするのだから。
その曖昧さを、 ただ曖昧なまま、大事にできたらと思う。
Epilogue
理由のない「会いたさ」ほど、 本当は心の深いところでつながっている証かもしれない。
もしそれを伝える勇気が出ない日には、
せめて、自分の中のその思いにだけは、
ちゃんと耳を傾けてあげよう・・・