
何かにつけて「完璧」を目指してしまう自分がいる。
予定通りに起きること。 ごはんをちゃんと作ること。 好きな服を着ること。 部屋をきれいに整えること。 SNSでは明るく、感じよく、冗談も忘れず。
どこかで、“きちんとしていない自分”は人に見せてはいけない気がして。 完璧であることは、私を守ってくれる鎧のようだった。
でも、ある日、洗濯機が壊れた。 下着もタオルも洗えなくなって、コインランドリーに行く気力もない。 気づけば、髪もぼさぼさ、冷蔵庫は空っぽ。
SNSはおろか、誰にも会いたくなくなった。
なんだか全部が崩れ落ちた気がして、 ベッドの上で小さく丸まっていたら、 ふと、昔の友達からLINEが来た。
「生きてる? なんか、ふと気になって」
完璧じゃなくても、人は思い出してくれるのか、と思った。 きれいな私じゃなくても、気にしてくれる人がいる。
それだけで、少し泣けた。
この世界には、たぶん「完璧」なんて存在しない。 雑で、揺れていて、間違いばっかりで、 思ってもいないことを言ってしまったり、 うまく笑えなかったりする。
でもその不完全さのなかにこそ、 人間らしさや、愛おしさや、ほんとうのつながりって、宿るんじゃないかと思う。
完璧でなきゃ嫌われる、って思い込んでいたのは、 きっと私の中の小さなこどもだった。
「失敗しても、大丈夫」 「今日、何もできなくても、嫌われない」
そう言ってくれる誰かがいることが、 完璧以上に、私を守ってくれるんだと思う。
今も私は、つい完璧を目指してしまうけれど、 ときどき立ち止まって、自分にこう聞くようにしている。
「ほんとに今、それ必要?」 「無理してない?」
欠けてる部分や、できなかったことを抱えたまま、 それでも誰かと笑い合えたら。
そのとき、 「完璧」より、ずっと素敵な“何か”が生まれてる気がする。
そして私は、その“何か”の名前を、まだ知らないままでいいとも思ってる。