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PERSOna Essayist Special『セックスレスという国民病』APR 22.2025-Nit.Tuesday

「セックスの話を日常で語るのは恥ずかしい」
そんな空気が、いまだにこの国には根強く残っている。

けれど、語られない問題は、解決されない。
誰もがどこかで不安や孤独を抱えているのに、
その痛みを見ないふりをする社会の方が、
よほど不健全だ。



私は女性として、 そしてひとりの人間として、 「触れ合うこと」がいかに精神の安定や幸福感に関わっているかを、 身をもって知っている。

でも、恋人や夫婦という関係性の中で、 それが当たり前のように“なくなる”ことは、 決して珍しいことではない。

むしろ、いまや“ある方が稀”という現実。



厚生労働省の調査によれば、 日本の既婚者のうちおよそ半数以上がセックスレス状態にあるという。


理由は「疲れている」「面倒くさい」「子どもが生まれてから距離ができた」 ──言葉にすれば些細に見えるが、

実は、その裏には深い孤独や、 性と心の断絶が横たわっている。



触れられない夜。 見つめ合わない朝。

「家族」としては機能していても、 「女」として、「男」としてのつながりを失った二人が、
同じ部屋にいてもまるで遠い場所にいるような──そんな関係。

それでも外では「仲良し夫婦」として振る舞い、 本音を話すことすらできず、 誰にも助けを求められないまま、 心だけがすり減っていく。



セックスレスは、単なる性生活の不一致ではない。 “心の皮膚感覚”を失ってしまった、
この国全体の深い病だと思っている。



性を語ることは、決して下品なことじゃない。
それは、自分の体と心をどう愛しているか、
相手とどう関係性を育てようとしているかのバロメーターだ。

だからこそ、恥じず、恐れず、 もっとオープンに話してもいいはずだ。



私たちはもっと、 “触れられることの大切さ”を思い出していい。
“見つめられることのぬくもり”を、忘れなくていい。

それは、誰かに愛されたいという願望じゃなく、 人として、生き物として、 ごく自然な感覚のはずだから。



そしてその感覚を、 もう一度“日常”の中に取り戻せるように。

語ることから始めよう。 誰かと、じゃなくてもいい。 まずは、自分の心と体に問いかけることから。

Epilogue

誰にも言えなかったことに、
小さくても言葉を灯してみる。
それだけで、世界の輪郭が少しだけやわらかくなる。

あなたの沈黙には、ちゃんと意味があった。
でも、そろそろ声に出しても、いいかもしれない………