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LIFE ESSay 『椅子ひとつあれば、人生はなんとかなる』APR 13.2025-Mor.Sunday

昔から、椅子が好きだった。
テーブルじゃない。ベッドでもない。

椅子、ひとつ。

誰もいない部屋の隅に、ぽつんと椅子が置いてあるだけで、なんだかそこに「居ていい」気がして、少し安心する。



旅先の古い喫茶店でも、
役所の待合室でも、
気づけば私は椅子を探している。

そして、見つけた椅子に腰かけると、
そこでふっと、“思考のスイッチ”が入る

何を考えていたのかさえ忘れていたような日も、
椅子に座った途端、心の引き出しがカタリと開く。



たとえば、人生がどうにもならない日。
うまくいかない仕事。
気まずい沈黙。
言わなきゃよかったひと言。
言えなかった大事なこと。

そういうのって、
立ったままだと消化できない。

でも、椅子に腰かけると、不思議と“受け入れ”が始まる。



一度、ベランダに安いパイプ椅子を置いていた時期がある。朝、コーヒーを飲みながら10分間だけその椅子に座る。

何もしゃべらず、スマホも見ず、
ただ街の音や風の匂いを感じながら、
「今日どうする?」と自分に聞く時間。

あれだけで、なんだか生き延びられる気がした。



人はきっと、どこかに“座れる場所”さえあれば、
立ちっぱなしの気持ちをほどいていけるんだと思う。

それがソファじゃなくてもいい。
お気に入りのカフェじゃなくても、
たとえば職場の倉庫の隅だっていい。

「ここにいても、いいよな」って思える椅子ひとつあれば、
人生って、案外どうにかなる。



椅子って、言い換えれば「間」なんだと思う。
人と人のあいだ。
昨日と今日のあいだ。
できることと、できなかったことのあいだ。

その“あいだ”に座って、少しだけ呼吸を整える。
それだけで、人間ってまた次の一歩を出せる生き物なんだろうな。



今日、部屋の片隅にひとつだけ椅子を置いた。
座らなくてもいい。
でも「座ってもいい」と思える場所を、
自分の中に持っておきたくて。

その椅子は、たぶん私にとって、
人生の“予備席”みたいなものかもしれない。


もし、あなたの心の中にも今、
空いた椅子がひとつあるなら、
ちょっとだけ腰を下ろしてみてほしい。

どんな景色が見えるか、
ちょっと楽しみにしながら──。