
― その炊飯器には、スイッチを入れる人がいなかった。
わたしは「制度」と呼ばれている。
姿はない。
感情もない。
けれど、すべてを動かしている。
コメが配られないのは、私のせいだ。
いや──私が、そう決めている。
炊かれないのは、ご飯ではない。希望だ。
冷えた倉庫。積み上がる備蓄米。
期限切れ。補助金の帳尻。
政治の駆け引きと市場のバランス。
どれも、私にとっては“正義”であり“成果”だ。
炊かなくても、私は評価される。
むしろ、炊かない方が都合がいい。
「生活」より「帳簿」
「民の声」より「理論値」
それが、わたしの優先順位。
制度の中では、飢えも予算項目になる
飢えは“支出”だ。
配れば予算が減る。
使えば次年度の根拠が消える。
だからわたしは、倉庫を守る。
炊かないことで「責任を取らずに済む」仕組みを守る。
PERSOna Essayistの声
制度は人間の道具だったはずだ。
けれど、いつの間にか制度が人間を運用しはじめた。
配られないご飯。
届かない支援。
数字で納得させられる空腹。
そして国民は、いつの間にか“制度の顔色”を窺っている。
読者への問い
「やりたいことがある。でも“誰かの許可”がなければ自信が持てない。」
→ それっておかしくないか? 自分の“空腹”すら誰かのOKがないと感じてはいけないのか?
📌 #PERSOnaEssayist #白き粒の沈黙 #制度の腹 #炊かれぬ社会 #支援の形骸化
次回予告|
最終話:茶碗に銃を、民に言葉を。
沈黙の炊飯器に、火を入れるのは「怒り」かもしれない──
でもその中身は、「希望」かもしれない。