
その夜、私は自分の夢ではなく、誰かの夢に泣いた。
とても静かな涙だった。思いがけない形で心の深い場所に触れてしまった、そんな夜だった。
夢を語ってくれたのは、十年来の友人だった。
お酒も抜けかけた夜更け、何気なく話し出したその夢の内容は、最初はありふれたものに思えた。
でも、彼が最後にぽつりとこう言った瞬間、私は沈黙した。
「夢の中で、やっと“ありがとう”って言えたんだよ」
言葉にしてしまえば、それだけのことかもしれない。
でもそのとき、私ははっきりとわかったのだ。
それは彼が長いあいだ抱えてきた、心の奥に沈めてきたひとつの感情の解放だったのだと。
彼の父親はもうこの世にいない。
幼いころに厳しく育てられ、素直に愛情を交わせる関係ではなかったという。
思春期には言い争いばかりで、最後に交わした会話も、険しいものだったらしい。
彼はずっと、「ありがとう」すら言えなかったことを悔やんでいた。
その想いが、ようやく夢の中で形になったのだ。
不思議なことに、私の目から涙がこぼれていた。
自分でも驚いた。私が泣く理由は、どこにもないはずだった。
でも、その瞬間に気づいたのだ。
私は彼の夢のなかに、自分自身の「言えなかった言葉」たちを見ていたのだ、と。
──ありがとう、
──ごめんなさい、
──もう一度だけ会いたい、
そんな言葉たちが、心のどこかに蓄積されていたことに気づいてしまった。
夢は不思議だ。
本人が抱えきれなかった感情が、ある日ふいに物語となって現れ、
ときに他人の心にまで静かに波紋を広げる。
私たちはいつも「自分の物語」ばかりに夢中で、
他人の夢に、他人の未練に、耳を傾ける余裕をなくしているのかもしれない。
けれど、ときに他人の夢の中には、自分の感情の断片が宿っている。
まるで心の鏡のように。
他人の夢で泣いた夜、私はひとつの大切なことを学んだ。
それは、「人の物語に自分の心が映ることがある」ということ。
そしてそのときこそが、言えなかった言葉を、自分自身に向けてそっと語りかけるチャンスなのだと。
あの夜から、私は夢の話を少し丁寧に聴くようになった。
そこにあるのは、ただの空想ではない。
誰かが、言葉にできなかった思いを、ようやく見つけた証なのかもしれないから。