
──ちいさな違和感が積もっていく、五つの気配──
1|朝:昨日と同じはずの始まり
目が覚めると、部屋はきれいに朝だった。
カーテンの隙間からやわらかい光が差し込み、目覚まし時計はいつも通り、少しズレた時間で鳴る。
眠い頭のままキッチンに向かい、冷蔵庫を開けて牛乳を注ぐ。
この一連の動作が、まるで“記憶のリピート”みたいだった。
「あれ、これ……昨日と全く同じじゃない?」
たったそれだけのことなのに、ふと、空気が重くなる。
同じ日が続くって、安心でもあり、不気味でもある。
2|通勤:風景がふっと“映画”に変わる
電車の中。
スマホの光に照らされる無表情な人たち。
誰もが画面に夢中で、誰とも目が合わない。
ふと、あたりを見渡してみると、その光景が急に“つくりもの”に見えてくる。
どこかのSF映画か、ゆっくり崩壊していく文明の断片のような。
イヤホンから流れる音楽が、なぜか悲しく響いた。
「これって、毎日繰り返される“文明ごっこ”なんじゃないか」
そんなバカげた妄想すら、本気で浮かんでしまう朝。
3|昼:問いかけられた「楽しさ」の正体
オフィスの昼休み。
紙コップのコーヒーを片手に、同僚が笑顔で言った。
「最近、楽しいことあった?」
なんでもない、よくある社交辞令。
でも、言葉が刺さった。
なにかを答えようとして、何も出てこなかった。
「楽しいって、最近ちゃんと感じたことあったっけ?」
笑ってごまかすしかなかったけど、
心の中では、自分自身に軽くショックを受けていた。
4|夜:鏡に映った知らない顔
夜、シャワーを浴びて、ふと鏡を見る。
濡れた髪のままの自分と目が合った。
少し、目の奥がくすんでいる。
口角は下がり気味で、肌のトーンも不安定だ。
「……こんな顔してたっけ?」
自分の顔を、何年もきちんと見ていなかった気がする。
誰かの“演じる日常”に、自分の顔までもが染まっていく。
そんな気がした。
5|そしてまた朝が来る
それでも朝は来る。
目覚ましが鳴り、カーテンから光が漏れる。
コップに牛乳を注ぎながら、ふとつぶやく。
「これ……昨日もやったな」
ただの習慣。ただの繰り返し。
だけどその裏側で、何かが静かに、確実に、削れていくような気がしてならない。
狂っていくのではない。
少しずつ、壊れていくのだ。
まるで、長く放置されたピアノの音が、少しずつズレていくように。
でも、それでも今日も私は、
笑って電車に乗り、
誰かと会話をし、
また夜を迎える。
この、静かに狂っていく日常の中で。
壊れながらも、私はまだ、生きている。
エピソード
夜、キッチンで牛乳を注ごうとしたら、
コップが倒れて、ちょっと派手にこぼれた。
ああ〜って言いながら、しゃがみ込んで拭きながら、ふと思った。
「今日、私なんか疲れてるんだな」って。
なんでか分からないけど、こぼれた牛乳を見てたら、ちょっと泣きそうになった。
でも泣くほどでもなくて、結局笑って終わった。
多分、そうやって、
日常って静かにズレていくんだろうなって。
そしてまた明日、
ちゃんと牛乳を注げる気がするから、不思議。