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PERSOna Essayist 連載2⃣『票と引き換えの白い粒』APR10.2025Nit.Thursday

― コメが届くのは、選ばれた“土壌”だけだった。

「うちの田んぼは、国が守ってくれてるんだ」

そう言って、地元の有力者が鼻で笑った。
耕されたのは土地ではない。


“票田”だ。


選挙のたびに配られる“美辞麗句”。
「農業を守る」「日本の食を支える」──

けれど現実は、耕作よりも“申請書”をいかに美しく書くかの競争だった。


コメの正体が変わった

かつてのコメは、命をつなぐ主食だった。
今やコメは、**補助金と引き換えの“票”**になった。

作るか、作らないか。
守るか、隠すか。


農家の生活を語りながら、
制度が守っているのは「補助金交付の様式美」にすぎない。


「届ける」とは、“誰に”届けるか

票になる場所には、届く。
議員が頭を下げる場所には、届く。

だが、


都会のワンルームで、安いパック米を悩みながら手に取る若者の元には、
一粒も届かない。

食の支援とは、いつから“政略”になったのか?


 肥えた土地と、飢えた民

補助金を受けて、米を作らない。
減反政策の名のもとに、
“作らなかった実績”が最も評価される。

食卓のためではなく、
制度のバランスのために動く政策。
それが、日本の「コメの政治学」だ。


PERSOna Essayist の視点から

わたしたちは、
政治と食がつながっていることを知らないまま、
“高すぎるおにぎり”を買っている。

それは物価ではなく、
透明な政治コストを払わされている証だ。


読者への問い
#PERSOnaEssayist #白き粒の沈黙 #食と政治 #補助金と現実 #炊かれない米


次回予告|

第3話:米が泣いてる──冷蔵倉庫より
語り手は、米自身。
食べてもらえなかった理由を、そっと語り始める──