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PERSOna Essayist 連載1⃣ 『腹は満ちても、米は届かぬ』APR 09.2025-Nit.Wednesday

― 倉庫が語らない国で、誰が飢えているのか?

「お米がない」と言う前に──

聞こえないフリをしている“誰か”がいる。

炊飯器の中の米が減る。
スーパーの棚が高くなる。
それでも倉庫には、まだ大量の“備蓄米”が眠っている。

──では、なぜ届かない?


「制度の空腹」はもう、満ちている

この国には、配られないための準備がある。

・倉庫に保管され続ける数百万トンの備蓄米
・崩せば価格が下がるという“恐怖の美学”
・農政と票田の“静かな契約書”

お米は命の糧ではなく、
“調整すべき在庫”として、そっと積まれている。


米が届かない理由、それは…

それは「足りない」からではない。
「届ける意志がない」からだ。

国民の空腹よりも、制度の正しさが優先される。
農家の声よりも、数字が大事にされる。

そして、こう言われるのだ。

「備蓄は足りています。冷静に行動してください。」

…冷静に?
ならば問おう。

なぜ、“食べ物”が“使われない実績”になっているのか?


胃袋より、帳簿が重たい国で

今日も、子どもが空腹で寝ている。
高齢者が米を買うために1日を削っている。

けれど、その横で──
倉庫は冷たく黙っている。

「この国は備えている」

その備えは、本当に“誰かの命”のためだろうか?
それとも、制度そのものを守る“保険”なのか?


言葉で、炊く。

PERSOna Essayistがここに描くのは、
“ご飯”ではなく、“届かないという構造”である。

「飢え」は、いつも遠くの話じゃない。
誰かが仕組んだ「届かない日常」に、
私たちはもう慣らされてしまっただけ。


読者への問い

あなたが口にしたその一膳は、
本当に「あなたのため」に炊かれたものですか?


#PERSOnaEssayist #白き粒の沈黙 #炊かれない社会 #食と政治 #届かぬ米


次回予告|

第2話:票と引き換えの白い粒
補助金、談合、選挙カー──
政治がコメを運び、民意をすり潰す夜に。