
― 倉庫が語らない国で、誰が飢えているのか?
「お米がない」と言う前に──
聞こえないフリをしている“誰か”がいる。
炊飯器の中の米が減る。
スーパーの棚が高くなる。
それでも倉庫には、まだ大量の“備蓄米”が眠っている。
──では、なぜ届かない?
「制度の空腹」はもう、満ちている
この国には、配られないための準備がある。
・倉庫に保管され続ける数百万トンの備蓄米
・崩せば価格が下がるという“恐怖の美学”
・農政と票田の“静かな契約書”
お米は命の糧ではなく、
“調整すべき在庫”として、そっと積まれている。
米が届かない理由、それは…
それは「足りない」からではない。
「届ける意志がない」からだ。
国民の空腹よりも、制度の正しさが優先される。
農家の声よりも、数字が大事にされる。
そして、こう言われるのだ。
「備蓄は足りています。冷静に行動してください。」
…冷静に?
ならば問おう。
なぜ、“食べ物”が“使われない実績”になっているのか?
胃袋より、帳簿が重たい国で
今日も、子どもが空腹で寝ている。
高齢者が米を買うために1日を削っている。
けれど、その横で──
倉庫は冷たく黙っている。
「この国は備えている」
その備えは、本当に“誰かの命”のためだろうか?
それとも、制度そのものを守る“保険”なのか?
言葉で、炊く。
PERSOna Essayistがここに描くのは、
“ご飯”ではなく、“届かないという構造”である。
「飢え」は、いつも遠くの話じゃない。
誰かが仕組んだ「届かない日常」に、
私たちはもう慣らされてしまっただけ。
読者への問い
あなたが口にしたその一膳は、
本当に「あなたのため」に炊かれたものですか?
#PERSOnaEssayist #白き粒の沈黙 #炊かれない社会 #食と政治 #届かぬ米
次回予告|
第2話:票と引き換えの白い粒
補助金、談合、選挙カー──
政治がコメを運び、民意をすり潰す夜に。