
──あなたを評価するのは、あなたではない。
かつて、就職も恋愛も「人柄」で決まった。
面接では“熱意”が語られ、恋愛では“フィーリング”が信じられていた。
いま、それらはすべて、データという数値に置き換えられつつある。
そして、選ばれるのは人格ではなく、傾向だ。
面接は“計測”に変わった
就職面接の現場では、AIが目の動き、声の揺れ、発言の構成、ストレス反応を測定する。
履歴書の中身は表層に過ぎない。
重要なのは「この人がトラブルを起こすか」「離職しそうか」「従順かどうか」。
選ばれるのは、優秀な人材ではない。
都合がいい傾向を持った人だ。
恋愛も、パターンで“最適化”される
マッチングアプリは、プロファイルだけで人を選ばせてはいない。
ユーザーがどの写真に何秒視線を止めたか。
何時にログインするか。
過去に何を“スキップしたか”。
──それらのすべてが「あなたの恋愛傾向」として記録される。
その上で「あなたに最適な相手」を提案してくる。
ただしそれは、“あなたが最も課金しやすく、反応しやすい”相手だ。
自己は編集され、個性は設計される
人は、選ばれることを望む。
だから、選ばれやすくなるように、自分を“編集”する。
・面接でウケる言い回しを覚え
・アプリに映える角度で写真を撮り
・回答をAIに添削させる
その行為が積み重なった先にいるのは、
**「自分を装うことに慣れた個人」**であって、
本来の“自己”ではない。
最適化は、いつか個人を侵食する
合理性は美しい。
しかし、“選ばれる確率”を上げ続けた先には、
「誰もが同じような思考と振る舞いをする社会」がやって来る。
個性とは、分析しにくいものだ。
だから排除される。
例外は、異物として処理される。
エピローグ|選ばれることに疲れた社会へ
あなたは今、履歴書のどの欄で判断されているだろう?
恋愛アプリのどのスワイプが、次の出会いを左右するだろう?
──選ばれる自由を信じている間に、
私たちは選ぶ感覚を失っている。
それが「便利」と呼ばれる未来なら、
もう、それはディストピアではないかもしれない。
むしろ、それが“正常”とされる時代が来てしまっただけなのだ。