
プロローグ
かつて、肉は生き物から取るものだった。
やがて、実験室で“育つ”ようになり、
コオロギやミドリムシが「未来食材」として語られるようになった。
けれど、その未来の食卓に並ぶのは、
「栄養素」ではなく、「記憶を置き換えたもの」かもしれない。
合成肉のハンバーグに、
家族団らんの温かさを見出せる日が来るのか。
それとも、便利さと引き換えに“人間らしい食”は姿を消していくのか──
未来の味覚を決めるのは、テクノロジーではなく、
あなたの中の“懐かしさ”かもしれない。
本題
正直言って、「未来の食卓」って聞いた時、もっとワクワクするもんだと思ってた。
なんか、空中に浮かぶ透明なお皿とか、スプーンがしゃべってくれるとかさ。
でも現実は、合成肉とか昆虫食とか、なんか…ちょっと…ねぇ。
この前コンビニで「たんぱく質たっぷり!コオロギパウダー使用!」って書いてあるスナック見つけてさ、
え、ちょっと待って、どのタイミングで私たちコオロギOKになったの? って思った。
しかも袋、めっちゃ爽やか系のデザインで、あたかも「朝ヨガの後にどうぞ♡」みたいなテンション。…いや、ヨガの後に虫いかないでしょ。
合成肉もさ、「見た目も味もそっくり!」って言われると、じゃあ最初からホンモノ食べる意味ってなんだったの?って逆に混乱するし。
牛がいなくてもステーキ食べられます!って、いや、じゃあ牛は最初から何だったの…。
でもね、頭ではわかってるのよ。
環境のこととか、地球の限界とか、飢餓の問題とか。私たちがこれからも生きてくためには、もう“好き嫌い”とか言ってる場合じゃないって。
でもでも、それでも、やっぱりちょっと…コオロギは…遠慮したいのよ。
これってわがままなのかな?
でもさ、“食”って、栄養だけじゃなくて、記憶とか、安心感とか、ちっちゃな幸せとか、そういうものも一緒に食べてる気がするのよね。
エピローグ
どんなに未来が進んでも、
最後に“美味いかどうか”を決めるのは、舌じゃない。記憶だ。
母親が焼いてくれた肉の匂い。
遠足のとき友達と分け合ったサンドイッチ。
初めて誰かの家で出された、慣れない味噌汁の違和感。
合成でも、昆虫でも、それを“懐かしい味”と思える時代が来たら、
きっとそのとき、私たちは「未来の人間」になっている。
食べ物が変わるんじゃない。
食べ物を“物語”に変えられる力こそが、人間なのだ。
──LIFE ESSay / 未来の食卓より