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PERSOna Essayist 完全版第4弾 『あの人は、たぶん私だった』

──現実のなかで自分を俯瞰する試み

プロローグ|”私”を他人のように見つめることがある


ふとした瞬間に、コンビニのガラスや、地下鉄の車窓に映る自分を見て「……あれ?あの人、誰?」と思うことがある。

何も考えていない顔。
猫背の姿勢。
歩き方に目的があるようでなくて、でも、どこかに向かっている風を装っている“その人”。

それが“私”であるという事実を、
少し距離をとって認識する感覚がある。


 本編|日常の中の“他人としての自分”

私は、自分を「よく知っている」はずなのに、
思ったよりも「知らないこと」が多い。

・なぜ、誰もいないのに独り言を言うのか
・なぜ、他人には冷静に見える問題を、自分だけはぐるぐる考えてしまうのか
・なぜ、あの時だけ声を荒げたのか
・なぜ、「私は大丈夫」と嘘をついたのか

その一つ一つに説明をつけられないまま、
私は自分を日々、観察している。

まるで、「この人はどういう人物か」を記録しようとしている調査者のように。


転調|心の中のモノローグ実況者

ある意味で、私の中には
常に“カメラを回しているもう一人”がいる。

この人は冷静だ。
感情が溢れるときほど、むしろ黙って記録している。そしてあとで、ふとこう言う。

「……いまの、お前、ちょっと面白かったぞ」

このモノローグ実況者こそが、
私に“俯瞰”という視点を与えてくれている気がする。

でも、じゃあ、どれが「本当の私」なのか?

答えはまだ出ていない。
ただ、どちらも“生きている”のは確かだ。


エピローグ|自分を「他人として受け入れる」練習

最近、思うようになった。


自分をちゃんと好きになるって、「自分を主役として尊敬する」というよりも、

「この人、けっこう面白いな」って思えれば、それでいいんじゃないかと。

完璧じゃない。
矛盾してる。


急に優しくなったり、無口になったりする。
だけど、それが「私」なんだと。

私は今日も、ガラスに映った誰かを眺めながら、
その人の“次の一手”に期待している……..

ガラスに映る自分が、少し知らない人みたいに見えるときがある。
何も語らず歩く姿。表情のない顔。

それでも、あの人は私だ。
矛盾していて、整理しきれなくて、でもどこか憎めない存在。

今日はその人を、
ちょっとだけ好いてみようと思った。

誰よりも、近くて遠い“私”へ。

― PERSOna Essayist / 語り部:Momo