
──現実のなかで自分を俯瞰する試み
プロローグ|”私”を他人のように見つめることがある
ふとした瞬間に、コンビニのガラスや、地下鉄の車窓に映る自分を見て「……あれ?あの人、誰?」と思うことがある。
何も考えていない顔。
猫背の姿勢。
歩き方に目的があるようでなくて、でも、どこかに向かっている風を装っている“その人”。
それが“私”であるという事実を、
少し距離をとって認識する感覚がある。
本編|日常の中の“他人としての自分”
私は、自分を「よく知っている」はずなのに、
思ったよりも「知らないこと」が多い。
・なぜ、誰もいないのに独り言を言うのか
・なぜ、他人には冷静に見える問題を、自分だけはぐるぐる考えてしまうのか
・なぜ、あの時だけ声を荒げたのか
・なぜ、「私は大丈夫」と嘘をついたのか
その一つ一つに説明をつけられないまま、
私は自分を日々、観察している。
まるで、「この人はどういう人物か」を記録しようとしている調査者のように。
転調|心の中のモノローグ実況者
ある意味で、私の中には
常に“カメラを回しているもう一人”がいる。
この人は冷静だ。
感情が溢れるときほど、むしろ黙って記録している。そしてあとで、ふとこう言う。
「……いまの、お前、ちょっと面白かったぞ」
このモノローグ実況者こそが、
私に“俯瞰”という視点を与えてくれている気がする。
でも、じゃあ、どれが「本当の私」なのか?
答えはまだ出ていない。
ただ、どちらも“生きている”のは確かだ。
エピローグ|自分を「他人として受け入れる」練習
最近、思うようになった。
自分をちゃんと好きになるって、「自分を主役として尊敬する」というよりも、
「この人、けっこう面白いな」って思えれば、それでいいんじゃないかと。
完璧じゃない。
矛盾してる。
急に優しくなったり、無口になったりする。
だけど、それが「私」なんだと。
私は今日も、ガラスに映った誰かを眺めながら、
その人の“次の一手”に期待している……..
ガラスに映る自分が、少し知らない人みたいに見えるときがある。
何も語らず歩く姿。表情のない顔。
それでも、あの人は私だ。
矛盾していて、整理しきれなくて、でもどこか憎めない存在。
今日はその人を、
ちょっとだけ好いてみようと思った。
誰よりも、近くて遠い“私”へ。
― PERSOna Essayist / 語り部:Momo