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PERSOna Essayist 完全版第3弾『同じ扉を使う理由』APR 02.2025-Nit.Wednesday

排泄と生殖、その不思議な近接の進化譚


私たちの身体には、妙に隣接し、時に同一の道を共有する器官がある。

生殖器と排泄器官。
命をつなぐものと、不要なものを外へ出すもの。
これらがなぜ、同じ場所にあるのか。
なぜ、同じ管や穴を使うのか。

羞恥と不浄、そして神聖と歓喜。
この矛盾のような組み合わせは、決して偶然ではない。



私たちは「尿」を、ただの老廃物と見なしているけれど本当はそれで、身体という閉ざされた小宇宙空で、元素のバランスを静かに調えるための知的操作なのだ。

ナトリウム、カリウム、水分。


体の中で少し多すぎたそれらを、そっと外へ捨てる。必要なものは再吸収し、足りないものは取っておく。
──まるで、思い出を整理するように。

その排出のために、動物たちは「排水管」を発明した。それが後の「腎臓」へと進化してゆく。



では、生殖はどうだろう。
精子や卵子といった、生の種。


それもまた、私たちの体内でつくられたものだが、「使われるためには体の外に出なければならない」という、排尿と同じ運命を持っている。

内側で育み、外に出して、他者の身体と交わる。
そこには「閉じた世界から開かれた世界へ」という旅がある。



進化の物語は、こうした共通点を見逃さない。
「似た働きなら、同じ仕組みで済ませてしまえ。」
それが、生命というエンジニアの常套手段だ。

つまり──
生殖細胞を外に出す仕組みは、もともと排尿の仕組みを“流用”したものだった。


体液を排出する管=原腎管。
その原型が、精子や卵子を外へ出す通路へと“転用”されたのだ。

そうして、「不要なもの」と「最も大切なもの」が、同じ扉から出入りすることになった



この設計は、美しくもあり、不気味でもある。
けれどそれは、生の深層にある「合理と再利用」の哲学だ。

私たちは、不合理に見えるこの構造に、
”進化という知性の“妥協ではない選択を垣間見ることができる。



“同じ扉を使う理由”

それは、命の仕組みが持つ、驚くほど静かな論理に他ならない。