
“自由診療”という名の無法地帯へようこそ
誰かが言った。「未来は幹細胞にある」と。
誰かが囁いた。「それは“永遠の美”への鍵」と。
だが、その未来は、想像以上に漆黒の如く、底知れなく深く、ドライアイスよりも冷たい世界。
湘南にある、何処にでもある美容クリニック。
海風に乗って届くのは、再生医療の甘い広告コピーと、微笑む女医の顔写真。
「あなたの細胞で若返る」
「再生の力で肌年齢−10歳」
「幹細胞で叶える“奇跡の治療”」
しかしその裏で——
患者の細胞は検査もなく保存され、どこかのラボで“商品”となり、数十万〜数百万円という金額で“夢”が売買されていく。
■ その治療、本当に必要?
厚生労働省の「自由診療」の枠内で行われるそれらの施術には、厳密な審査も検証もほとんどない。
副作用が出ても“自己責任”という言葉がすべてを封じ込められ、そこには、国も、行政も、助けに来てはくれない。
いや、むしろ——
彼らはそれを黙認することで、美容業界の“経済”を裏から支えているのかもしれない。
製薬会社、大手美容クリニック、そして厚生省の一部勢力。
この三角形の結びつきが、「幹細胞という希望」を“錬金術”に変えていく驚愕の世界とは。
■ なぜ、泣き寝入りが絶えないのか?

3ヶ月後、原因不明の炎症で顔半分が麻痺。
クリニックは「因果関係は証明できない」の一点張り。
彼女は今も治療を続けながら、訴訟に踏み切る勇気もないまま、“沈黙”を選ぶしかなかった。
SNSに流れる「成功事例」と「満足の声」。
だが、それは“声を上げられなかった人たち”の数を覆い隠す煙幕に過ぎない。
■ PERSOna Essayist として、私が今書くべき理由
この物語は、私の心に眠る「正義の感性」が叫び出した声だ。
決して誰かを断罪するためではない。
だが、この歪な構造に、誰かが疑問を投げなければ、この“錬金術”は、もっと多くの魂を巻き込んでしまう。
誰かの傷ついた記憶を、自分という仮面で書く。
それがPERSOna Essayistとして、
私が今、このテーマを選んだ理由である。
[ラストメッセージ]
“自由”は、美しい。
だが“無法”は、恐ろしい。
あなたの身体は、あなたの未来であり、
誰かのビジネスではない事を忘れずに……..