

「自分らしく生きたい」
──誰もが一度は口にするこの言葉。
けれど、それがどれほど難しいことかは、実際に生きてみないと分からない。
子どもの頃は、好きな服を着て、思ったことをそのまま言っていた。
「それが自分なんだ」と誰にも疑われなかったし、自分自身も疑っていなかった。
でも、大人になるにつれて、
社会の空気を読むことが“賢さ”とされ、
波風を立てずに「無難」でいることが“正しさ”だと教えられる。
気がつけば、“自分らしさ”よりも
“誰かにとって都合のいい自分”を優先していた。
「自分らしさ」とはなんだろう?
自由奔放でいること? 我を通すこと?
それとも、周囲に合わせながらも心の軸を持ち続けること?
本音を言えば、誰だって社会の一部として生きている。
「自分らしく」という理想を追うほど、
実は誰かを傷つけたり、孤立したりしてしまうことがある。
そのたびに、私たちは心のどこかで “自分を小さく折りたたむ”術を覚えていく。
でも、ある時ふと思う。
それって「自分らしくない」んじゃないか?
じゃあ、そもそも“自分らしさ”って何だったっけ?と。
結局、誰の人生にも「矛盾」はある。
笑いたいのに泣いてしまう日もあるし、
誰かを守りたくて、結局自分が傷つくこともある。
そんな不器用で、いびつで、うまく整わないもの全部ひっくるめて——
それが“自分”なのかもしれない。
「自分らしく生きる」とは、
“わかりやすい自分”で生きることじゃない。
むしろ、迷い、揺らぎながらも、
その都度「今の自分」と丁寧に向き合い続けることなのだろう。
誰かの正解ではなく、自分だけの納得を。
他人に評価されなくても、自分で「よくやってる」と言えることを。
それが、
“自分らしく生きる”という、
最も難しくて、でも最も誇らしい生き方なのだ。