
—— それ、私には関係ないし。
こんな言葉、最近あちこちで聞くようになった気がしませんか。
電車でベビーカーが押しつぶされそうでも、誰も目を合わせようとしないし。
道端でお年寄りが転んでいても、「誰かが助けるでしょ」と素通りしてしまい。
役所の窓口で理不尽な対応されても、「そんなもんだよね」と、苦笑いして帰ってくる。
なんだか、みんな“無関心”がうまくなりすぎた世の中になってない?
本音を言えば、私もそのひとりだったかもしれない。
正義感を振りかざして目立つのも面倒だし、
「親切な人」と思われるのも重たいし、
「よけいなこと言うなよ」って空気に飲まれるのもイヤだし。
だから、気づかないふりしてた。
何も見ていないふりして、サッと通り過ぎていた。
でもね、ある日ふと気づいたの。
—— 無関心って、誰かの“痛み”から目をそらすことじゃないかって!
誰かの困ってる姿に、声をかけるだけで良かったのに。
それが「できない自分」に、ずっと後になってモヤモヤしてしまう。
あの時、ちょっとだけ声かければよかったな、って。
世の中って、「ちょっとだけの関心」で変わることが沢山あるんじゃない……
ゴミが落ちていたら拾う。
子どもが泣いてたら、しゃがんで目を合わせる。隣の人が困っていたら、「大丈夫ですか?」って聞いてみる。
そんな、たったひと言の優しさで、救われる人がいる。
無関心って、すごく楽ちん。
だけどその分、じわじわと社会を壊していく。
冷たくて、無機質で「私には関係ない」ばかりが蔓延していくと、気がついた時には、自分が誰にも助けてもらえない場所に立っている。
優しさって、訓練がいると思う。
最初は気恥ずかしいし、勇気もいる。
でも、毎日ちょっとだけ心を動かしてみると、
だんだん自然になっていく。
誰かの痛みに敏感な人って、きっと自分にも優しい人。
「無関心でいる」ことが当たり前になった社会を、少しでも変えるには——
まずは自分の小さな関心から始めてみるしかないのかもしれない。
エピローグ
ちょっと気にかけるだけで、世界って少し優しくなる。
コンビニの店員さんに「ありがとう」と言ってみたり。
エレベーターを待ってる誰かに「先にどうぞ」と声をかけるとか。
道に迷ってる観光客に「何かお困りですか?」って聞いてあげるとか。
そんな小さな関心が、巡り巡って、また誰かの心を動かしていく。
社会は、ひとりひとりの気づきでしか、変わらないんだよ。