Home

LIFE ESSay 17『自分という存在を見つめる』MAR 26.2025-Mor.Wednesday

ペンギンのように生きてきた。

誰よりも先に飛び込む。誰よりも早く始める──そんな性格というより、興味が湧いたらもう止まらない。

周囲からは「ファースト・ペンギン」とよく呼ばれていたが、その意味を知ったのは後のこと。

氷の海へ最初に飛び込んでから、初めて問題点に気づき、そして創造へと持ち込む。あの勇敢なペンギンたちのように、好奇心が先に動き出すことにこそ、生きがいを感じてきた。

人生もまさにそうだった。計画性などなく、ただ目の前の出来事に「興味があるか、ないか」。その一点を直感で見極め、右か左かを決めてきた。それは子どもの頃から一貫して変わらない。

落ち込むことも、もちろん多々ある。でも、反省よりも先に身体が動いてしまう。起き上がって、また一歩踏み出す。

その姿勢に「学習能力がない」と言われたこともあるが、それでも、自分を否定したくなかったし、変えたくなかった。


会話から始まる、そして知らぬ間に終わる恋。

顔でモテた覚えはない。でも、会話をすれば必ず何かが始まる。相手の良いところを見つけて惹かれていく。そして恋が始まり、気づけばいつも側にいて、愛が深まる。

でも、同じように気づけば終わっていた。あとで思い返せば、いつも自分が相手の琴線に触れてしまったのかもしれない。

別れの理由は曖昧で、境界線が見えない。

「人間関係に、本当は境界なんてないのかもしれない」

愛されたことも、確かにある。でも最後は、いつもひとりだった。


過去に感謝するという祈り。

今は、ひとり。それでも毎朝、神棚に手を合わせる。かつて私の傍にいた人たち──恋人、妻、パートナー──その全てに「幸多かれ」と祈る。

今の自分を形づくってくれた存在だったと、ようやく素直に思えるようになった。

昔の幼なじみと、たまにLINEや電話で言葉を交わすだけ。それでも、それは心の灯火になる。


一人でいるけれど、孤独とは違う。

昔から、群れるのが苦手だった。仕事が終われば、さっさと家に帰る。誰かとベタベタした付き合いにも違和感があった。

そして仕事柄、何よりも家が好きで落ち着く。

親友と呼べる人間もいたけれど、心から信頼し、すべてを委ねられるのは、いつも“共に暮らすパートナー”ただひとり。

だからこそ、その人との別れは、何度経験しても深く凹む。

でも、それが「人間らしさ」なのだと思う。傷つき、懲りず、また誰かに心を開く。その繰り返しこそが、私という人間の生き様なのだろう。


創造と破壊、その魂の営み。

私の人生を一言で表すなら、「創造と破壊の連続」だった。

何かに惹かれて近づき、深く掘り下げ、そしていつしか終わりを迎える。

でもそのたびに、新しい“何か”が始まってきた。

それは破壊ではなく、変化。終わりではなく、始まりだった。

自分という存在は、ひとつの輪郭を持った完成形ではない。常に変化し、脱皮し続ける、未完の存在。

変わらない自分も、変わり続ける自分も、どちらも本当の自分なのだと思う。


〆のことば:

今、私は静かな時間の中で、自分に向き合い、語りかけている。

誰かに許してもらうように。誰よりも“自分自身”と仲直りをするように。

ひとりの時間が長くなった今、ようやく気づいた。

──言葉にできなかった思いも、黙っていてくれた誰かの優しさも、

すべてが“創造と破壊”という営みの中にあったのだと。

そしてそれは、きっと“側にいた皆に育てられ、生かされている”という、静かな感謝の証。

そうして今日もまた、新しい一日が始まる。