

ペンギンのように生きてきた。
誰よりも先に飛び込む。誰よりも早く始める──そんな性格というより、興味が湧いたらもう止まらない。
周囲からは「ファースト・ペンギン」とよく呼ばれていたが、その意味を知ったのは後のこと。
氷の海へ最初に飛び込んでから、初めて問題点に気づき、そして創造へと持ち込む。あの勇敢なペンギンたちのように、好奇心が先に動き出すことにこそ、生きがいを感じてきた。
人生もまさにそうだった。計画性などなく、ただ目の前の出来事に「興味があるか、ないか」。その一点を直感で見極め、右か左かを決めてきた。それは子どもの頃から一貫して変わらない。
落ち込むことも、もちろん多々ある。でも、反省よりも先に身体が動いてしまう。起き上がって、また一歩踏み出す。
その姿勢に「学習能力がない」と言われたこともあるが、それでも、自分を否定したくなかったし、変えたくなかった。
会話から始まる、そして知らぬ間に終わる恋。
顔でモテた覚えはない。でも、会話をすれば必ず何かが始まる。相手の良いところを見つけて惹かれていく。そして恋が始まり、気づけばいつも側にいて、愛が深まる。
でも、同じように気づけば終わっていた。あとで思い返せば、いつも自分が相手の琴線に触れてしまったのかもしれない。
別れの理由は曖昧で、境界線が見えない。
「人間関係に、本当は境界なんてないのかもしれない」
愛されたことも、確かにある。でも最後は、いつもひとりだった。
過去に感謝するという祈り。
今は、ひとり。それでも毎朝、神棚に手を合わせる。かつて私の傍にいた人たち──恋人、妻、パートナー──その全てに「幸多かれ」と祈る。
今の自分を形づくってくれた存在だったと、ようやく素直に思えるようになった。
昔の幼なじみと、たまにLINEや電話で言葉を交わすだけ。それでも、それは心の灯火になる。
一人でいるけれど、孤独とは違う。
昔から、群れるのが苦手だった。仕事が終われば、さっさと家に帰る。誰かとベタベタした付き合いにも違和感があった。
そして仕事柄、何よりも家が好きで落ち着く。
親友と呼べる人間もいたけれど、心から信頼し、すべてを委ねられるのは、いつも“共に暮らすパートナー”ただひとり。
だからこそ、その人との別れは、何度経験しても深く凹む。
でも、それが「人間らしさ」なのだと思う。傷つき、懲りず、また誰かに心を開く。その繰り返しこそが、私という人間の生き様なのだろう。
創造と破壊、その魂の営み。
私の人生を一言で表すなら、「創造と破壊の連続」だった。
何かに惹かれて近づき、深く掘り下げ、そしていつしか終わりを迎える。
でもそのたびに、新しい“何か”が始まってきた。
それは破壊ではなく、変化。終わりではなく、始まりだった。
自分という存在は、ひとつの輪郭を持った完成形ではない。常に変化し、脱皮し続ける、未完の存在。
変わらない自分も、変わり続ける自分も、どちらも本当の自分なのだと思う。
〆のことば:
今、私は静かな時間の中で、自分に向き合い、語りかけている。
誰かに許してもらうように。誰よりも“自分自身”と仲直りをするように。
ひとりの時間が長くなった今、ようやく気づいた。
──言葉にできなかった思いも、黙っていてくれた誰かの優しさも、
すべてが“創造と破壊”という営みの中にあったのだと。
そしてそれは、きっと“側にいた皆に育てられ、生かされている”という、静かな感謝の証。
そうして今日もまた、新しい一日が始まる。