
「やりがい」の言葉に、搾取の影が潜んでいないか?
誰でも「やりがいのある仕事です!」と聞けば、少し誇らしい気持ちになる。 「誰かの役に立っている」と思えることは、社会に必要とされている証であり、自分の存在価値を実感させてくれるからだ。
けれど、ふと冷静になって考えたとき、その「やりがい」は本当に自分のためになっているのだろうか?
疲れても、責任感だけで頑張ってしまうあなたへ
今日も遅くまで働いた。 「この仕事はやりがいがあるから」と自分に言い聞かせながら、体のあちこちに無理を重ねている。
実は誰にも言えないが、本当はもう疲れて限界。
でも、「やめたい」と言うと、裏切り者のように見られる気がして、言い出せない。
「やりがい搾取」– 誠実な人が狙われる構図
あなたは、この世の裏側で言われている「やりがい搾取」という言葉を知っているだろうか?
それは、働く人の責任感や善意を巧みに利用して正当な報酬を支払わずに労働力を搾取する仕組みです。
ターゲットになりやすいのは、真面目で、優しくて、責任感のある“いい人”。 「誰かの役に立ちたい」と願う人たちだ。
「この仕事が好きだから」 「みんな頑張ってるから、自分も」 「今は大変だけど、いつか報われるはず」
そう信じて頑張るけれど、給料は上がらない。
責任だけが積み重なり、体を壊して初めて気づく。
「好きなこと=タダ働き」になっていないか?
「好きなことを仕事にできて幸せ」──たしかに、そう言われると否定しにくい。
でも、その“好き”が、誰かの搾取による”道具”にされていないか考えたことは無いですか?
アート業界やエンタメ業界では、昔から「夢を叶えるためには、下積みが必要」「好きだから、無償でも当たり前」とされる風潮があった。
無報酬の労働。それは情熱ではなく、“都合のいい駒”として使われている可能性がある。
自分に問いかけてみよう
- この仕事に、見合った報酬は支払われているか?
- 「やってる感」だけに支配されていないか?
- 自分の心と身体は健康な状態にあるか?
もし、どれかひとつでも「NO」と答えたら……
それは、あなたのための“やりがい”ではなく、誰かにとって都合のいい幻想かもしれいない。
優しさが利用される社会を終わらせるために
日本社会には、「助け合い」や「自己犠牲」を美徳とする文化がある。 「辞めるのは逃げ」で「頑張るのが正義」といった空気感が無言で、いつしか人を追い詰める。
でも、それはもう終わりにしよう。
やりがいは、誰かのために搾取されるものじゃない。 それは、自分自身の人生を豊かにするためにあるべきものだ。
〆のことば
「やりがいがあるから頑張れる」—— その気持ちは尊い。
でも、そのやりがいが“自分をすり減らすだけのもの”になっているならば、
それは、本当に“あなたのため”のやりがいなのか、一度立ち止まって考えてみてほしい。
答えは、あなた自身にしか出せない。
そしてその答えこそが、あなたを守ってくれる最初の一歩になる。
——どうか、そのやりがいを、自分自身のために使ってください。