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LIFE ESSay 『時々、人に戻れなくなる』APR 22.2025-Mor.Tuesday

朝、目が覚めると、カーテンの隙間から日が差し込んでいる。 暖かいはずなのに、なぜか体が布団から出たくない。

メールも鳴らない。 誰からも呼ばれていない。
ちょっと安心して、少しだけ寂しい。

こういう日は、何者でもない自分に戻ってしまう。 母でもなく、働く人でもなく、誰かの友だちでもない。 ただ、ただの「わたし」。

そして思うのだ。 ああ、今日は人に戻れない日かもしれないな、と。



冷蔵庫の中の野菜がしなびていた。 洗濯物が乾ききらずに重たそうに揺れている。 机の上には、読みかけの本がいくつも積まれているけど、どれにも手が伸びない。

こういうとき、私は猫になりたいと思う。 気ままに陽のあたる場所で、ずっと丸くなっていたい。

誰とも会わず、誰の期待にも応えず、 うまく笑えないままの自分で、何もせずにいられる一日。

それは、怠けてるわけじゃなくて、 「立ち止まる勇気」みたいなものかもしれない。



午後になって、やっと白湯を淹れる。 湯気が立ちのぼるのを見つめながら、 「なんにもしてないけど、生きてるなあ」って、静かに思う。

スマホを見れば、誰かがちゃんと日常を送っている。 楽しそうな写真、仕事の報告、子どもの成長。

でも、今日はスクロールするだけにして、 いいねもコメントもしない。 今は、誰のストーリーの中にも入りたくないのだ。



夕方、ベランダに出る。 風が少し冷たくなっていて、 洗濯物の端が揺れて、やっと乾いてきた。

なんとなく、その揺れが自分の心と似ている気がして、 ちょっとだけほっとする。



夜、豆腐とわかめのお味噌汁だけをつくる。
台所の静けさの中で、味噌を溶かすとき、 「あ、人に戻ってきたかも」って、ほんの少し思う。

でも、きっとまた、戻れなくなる日が来る。 それでいいのだ。

人はずっと人ではいられない。

時々、風になったり、猫になったり、 まるで影のように暮らす日があっても、ちゃんと「生きている」。

そういう日があるから、また誰かに優しくなれる。 そういう日を持ってるから、私は「人」に戻れる。



たとえば今日は、 「人であることを少しお休みした」一日。

画像
時々、人に戻れなくなる

だからまた明日、ちゃんと誰かの前で笑えるような気がする。