
朝、目が覚めると、カーテンの隙間から日が差し込んでいる。 暖かいはずなのに、なぜか体が布団から出たくない。
メールも鳴らない。 誰からも呼ばれていない。
ちょっと安心して、少しだけ寂しい。
こういう日は、何者でもない自分に戻ってしまう。 母でもなく、働く人でもなく、誰かの友だちでもない。 ただ、ただの「わたし」。
そして思うのだ。 ああ、今日は人に戻れない日かもしれないな、と。
冷蔵庫の中の野菜がしなびていた。 洗濯物が乾ききらずに重たそうに揺れている。 机の上には、読みかけの本がいくつも積まれているけど、どれにも手が伸びない。
こういうとき、私は猫になりたいと思う。 気ままに陽のあたる場所で、ずっと丸くなっていたい。
誰とも会わず、誰の期待にも応えず、 うまく笑えないままの自分で、何もせずにいられる一日。
それは、怠けてるわけじゃなくて、 「立ち止まる勇気」みたいなものかもしれない。
午後になって、やっと白湯を淹れる。 湯気が立ちのぼるのを見つめながら、 「なんにもしてないけど、生きてるなあ」って、静かに思う。
スマホを見れば、誰かがちゃんと日常を送っている。 楽しそうな写真、仕事の報告、子どもの成長。
でも、今日はスクロールするだけにして、 いいねもコメントもしない。 今は、誰のストーリーの中にも入りたくないのだ。
夕方、ベランダに出る。 風が少し冷たくなっていて、 洗濯物の端が揺れて、やっと乾いてきた。
なんとなく、その揺れが自分の心と似ている気がして、 ちょっとだけほっとする。
夜、豆腐とわかめのお味噌汁だけをつくる。
台所の静けさの中で、味噌を溶かすとき、 「あ、人に戻ってきたかも」って、ほんの少し思う。
でも、きっとまた、戻れなくなる日が来る。 それでいいのだ。
人はずっと人ではいられない。
時々、風になったり、猫になったり、 まるで影のように暮らす日があっても、ちゃんと「生きている」。
そういう日があるから、また誰かに優しくなれる。 そういう日を持ってるから、私は「人」に戻れる。
たとえば今日は、 「人であることを少しお休みした」一日。

だからまた明日、ちゃんと誰かの前で笑えるような気がする。