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PERSOna Essayist Special『孤独というラグジュアリー 〜パートナーシップと独立性〜』APR 20.2025-Nit. Sunday

誰かと一緒にいることが“正解”とされる世界で、 一人でいることを「寂しい」と決めつける空気に、私はずっと違和感を抱いてきた。

もちろん、愛し合えるパートナーがいて、 寄り添える誰かがいることは素晴らしい。 でも、それと同じくらい、一人で過ごす時間にも、 かけがえのない美しさがあると思っている。

孤独というのは、 不在ではなく“選択”でもある。



私は過去、誰かと暮らしたこともあるし、 深い関係性を築いたこともある。 けれど、あるときふと思ったのだ。

「この人のために生きることと、自分であること、 どこで境界線を引けばいいんだろう?」

気づかぬうちに、自分を抑えていた。 相手に合わせることが“愛”だと錯覚していた。



ある日、旅先の海辺で、 誰にも会わず、話さず、ただ波の音を聞いていた。

気づけば何時間も、 誰の視線も気にせず、 ただ「自分だけの時間」を味わっていた。

そのとき初めて、私は 「孤独って、なんて贅沢なんだろう」と思った。

誰にも気を遣わず、 誰の機嫌も伺わず、 誰の価値観にも左右されず、 ただ、自分という存在と静かに向き合う時間。

それは、世間のいう“寂しさ”とは、まったく別のものだった。



もちろん、人は一人では生きていけない。 人間関係は大切だし、つながりを否定するつもりはない。

でも、誰かとの関係性の中にこそ、 自分の輪郭を保つ“ひとりの時間”が不可欠だ。

ひとりを恐れずにいられる人こそ、 ほんとうの意味で誰かと並び立つことができる。

依存でも妥協でもなく、 「私は私、あなたはあなた」と言える関係は、 孤独を知っている人だけが築ける贅沢なパートナーシップだと思う。



孤独は、選ばれた人だけが味わえる“静かな富”。 それは、誰のためでもなく、 自分のために灯す心のランプ。

そして、その明かりがある人にこそ、 誰かがふと寄り添いたくなるのかもしれない………

Epilogue

孤独は贅沢。静けさは強さ。
誰かと出会うその時まで、自分を美しく整えておくために。