
― コメが届くのは、選ばれた“土壌”だけだった。
「うちの田んぼは、国が守ってくれてるんだ」
そう言って、地元の有力者が鼻で笑った。
耕されたのは土地ではない。
“票田”だ。
選挙のたびに配られる“美辞麗句”。
「農業を守る」「日本の食を支える」──
けれど現実は、耕作よりも“申請書”をいかに美しく書くかの競争だった。
コメの正体が変わった
かつてのコメは、命をつなぐ主食だった。
今やコメは、**補助金と引き換えの“票”**になった。
作るか、作らないか。
守るか、隠すか。
農家の生活を語りながら、
制度が守っているのは「補助金交付の様式美」にすぎない。
「届ける」とは、“誰に”届けるか
票になる場所には、届く。
議員が頭を下げる場所には、届く。
だが、
都会のワンルームで、安いパック米を悩みながら手に取る若者の元には、
一粒も届かない。
食の支援とは、いつから“政略”になったのか?
肥えた土地と、飢えた民
補助金を受けて、米を作らない。
減反政策の名のもとに、
“作らなかった実績”が最も評価される。
食卓のためではなく、
制度のバランスのために動く政策。
それが、日本の「コメの政治学」だ。
PERSOna Essayist の視点から
わたしたちは、
政治と食がつながっていることを知らないまま、
“高すぎるおにぎり”を買っている。
それは物価ではなく、
透明な政治コストを払わされている証だ。
読者への問い
#PERSOnaEssayist #白き粒の沈黙 #食と政治 #補助金と現実 #炊かれない米
次回予告|
第3話:米が泣いてる──冷蔵倉庫より
語り手は、米自身。
食べてもらえなかった理由を、そっと語り始める──