
「子どもは宝です」
そう言われるたびに、私は「そうかもしれないけど、宝箱の中身は開けてみるまで分からないよね」と思うのです。
確かに子どもは尊い存在。
大人が守るべき未来そのもの。
でも、それを育てる側からすると、正直「ガチャ」みたいなものだなぁと感じることがある。
産んでみなきゃ分からない「親ガチャ」の逆バージョン
世間ではよく「親ガチャ」なんて言葉が飛び交うけれど、親の側からすれば「子ガチャ」と言いたくなることもある。
周りを見てみると、
同じように育てた兄弟姉妹なのに、
一方は勉強も運動も完璧で、
もう一方はゲーム三昧。
親の価値観を受け継いでくれる子もいれば、真逆の道を突っ走る子もいる。
「この子はきっと、私のように本を読むのが好きなはず!」なんて期待したら、まったく興味を示さず外で泥だらけ。
「きっと将来は手に職をつけてしっかり働くわ!」と思っていたら、自由な生き方を求めて放浪の旅へ…。
DNAのミステリー。
育て方の妙。
そして何より、子どもには子どもの人生があるという当たり前のことを、親はなかなか受け入れられない。
思い通りにはいかないのが「育児」
そもそも「子どもを育てる」という言葉に違和感があるのです。
まるで、親が「こう育てたから、こうなる」みたいな因果関係があるかのように聞こえるけれど、実際は全然そんなことはない。
育児書通りに育てても、思春期には口もきいてくれなくなるし、
手作りのお弁当を頑張って作っても、コンビニのおにぎりのほうが美味しいって言われる。
それでも「この子のために」と思いながら、私たちは必死に愛情を注ぐ。
まるで、目隠しをしたまま種をまき、水をやり続けて、どんな花が咲くか分からないまま待つようなものだ。
「宝」の意味は、子どもそのものじゃなくて…
「子どもは宝」と言うけれど、それはきっと「子どもそのものが宝」なのではなく、子どもを育てる過程で得られるものが宝なんだと思う。
予想外の方向へ成長する姿に驚かされ、
自分の価値観が変わる瞬間を何度も経験し、
「自分の子どもなのに、こんなに違うのか」と感心する。
育てる側の私たちのほうが、子どもによって成長させられている。
それこそが、「子どもが宝」と言われる本当の意味なのかもしれない。
ガチャじゃなく、冒険だと思えばいい
親の思い通りにならないのは、もう仕方がない。
そう思えば、子育てはまるで人生のRPGみたいなものだ。
ガチャでSSR(最強レア)が出るかどうかではなく、
「このキャラ(子ども)は、どんな成長をするんだろう?」とワクワクしながら見守る。
時に予想外の方向に突っ走ることもあるけれど、それも含めて冒険の醍醐味。
そんな風に考えられるようになったら、子育てって案外楽しいものかもしれない。
読者へのメッセージ
「子どもは宝」と言われてプレッシャーを感じている親御さんがいたら、ちょっとだけ肩の力を抜いてみてください。
大事なのは「理想の子ども」を育てることではなく、目の前の子どもと一緒に成長すること。
どんな花が咲くか分からないけれど、
その変化を楽しむのが、
育児という名の冒険なのです。