
感情は、社会にとって管理すべきリスクなのか?
人間の感情は、社会秩序の最大の敵かもしれない——。少なくとも、21世紀のテクノロジーを駆使した統治システムは、そう考えているように見える。
「怒り」は暴動を生む。
「悲しみ」は生産性を下げ、
「愛」は管理不能なリスク要因だ。
そして「幸福」は、制度の維持には便利だが、
コントロール不能になれば資本主義の利益を損なう可能性もある。
では、国家はどうするか?
簡単なことだ。
「感情そのものを制御すればいい」——
これが、現代のディストピア的社会の本音だ。
アルゴリズムが感情を最適化する時代
AIが日々のニュースを精査し、個人のストレスを増幅させるような内容をフィルタリングする。
メンタルヘルスケアと称して、SNSの発言をスキャンし、不安定な感情を持つ人間を「保護」する名
目で監視する。
いや、既にその流れは始まっている。
たとえば、中国の「社会信用システム」は、国民の行動や感情の発露をポイント化し、
国家への「忠誠心」や「社会的安定」に影響を与えるものを減点する仕組みを取り入れている。
これは「自由」の問題なのか?
それとも、資本主義と全体主義が高度に融合した「新しい支配モデル」の誕生なのか?
感情は”資本”になった
20世紀までの資本主義は、労働力と資本によって回っていた。
しかし、21世紀に入ると、ビッグデータとAIの発展によって「感情そのもの」が資本になった。
たとえば、GAFA(Google、Amazon、Facebook、Apple)は、ユーザーの「いいね」や検索履歴から感情の傾向を分析し、それをマーケティングに利用する。
簡単に言えば、「人間の感情」そのものが、企業にとって最も価値のある「原料」となっているのだ。
だが、それが資本としての価値を持つならば、企業や国家が「感情の暴走」を管理したくなるのも当然だ。
たとえば、こんな未来があり得る。
- SNSでの投稿がアルゴリズムによって「過剰な怒り」と判断された場合、一定時間投稿制限がかかる。
- 「幸福度指数」が低い人には、特定の広告(幸福感を促す商品)が優先表示される。
- AIセラピストが日々のストレスチェックを行い、「最適な感情状態」に誘導するプログラムを提供する。
これらは、現代社会のディストピア的な要素でありながら、一見「便利で合理的」にも見える。
しかし、「管理される幸福」は本当に幸せなのだろうか?
感情を制御する社会は、人間を人間でなくする
問題の核心は、これが「自由を制限する監視社会」なのか、それとも「より良い社会のためのシステム」なのかという点にある。
「怒り」は時に破壊的だが、変革の原動力にもなる。
「悲しみ」は苦しいが、芸術や表現の源泉でもある。
「愛」は不確実な要素だが、それなしに人間は生きていけない。
もし、これらの感情が「アルゴリズムによって最適化される」未来が訪れたら、人間は本当に人間でいられるのだろうか?
「感情を制御する社会」は、
果たしてユートピアなのか、
それとも最悪のディストピアなのか——?