昔から議論される「人間性善説」と「人間性悪説」と論議される世界観はご存じかと思います。
これはそもそも何処から来たかと言えば、それはギリシャ神話の寓話集の中から来ています。
昔、ギリシャ神話に登場するプロテウスはゼウスの神様の命令によって土で人間と野獣を作りましたが
途中でゼウスは、会話の出来る人間よりも、もの言わぬ野獣の数が多いことが気に食わず!
その野獣の一部を潰して「話の出来る人間に作り直すようにしなさい」と指図しました。
プロメテウスはその指示に従い形を変えて作り直しましたが姿だけを人間に作り替えた為に
心までを人間に作り替えることを忘れていました。
だから、その為に人間の姿をしているが「心が野獣のままの人間」が多く作られたというお話しです。
勿論、ギリシャ神話の中にはその様な事の指摘はありませんが!
晩年にイソップが生きていた時代に、なんかその様に説明しないと腑に落ちないと思い寓話から
ヒン得て書いたと言われています。
注)実はこれらの物語の数々はイソップ(アイソープ)という人物が一人が書き残した寓話集と言うわ
けでは無いようです。
しかも内容は、子供のために書かれたモノでは無くむしろ、大人の為に教訓めいた部分が多いと言われ
ていることに気がつきます。
現代では人間の性格は「環境によって育つ」教えていますが果たして本当にそうでしょうかと疑問が?
確かにそうとも言えますが、一方でこの様なたとえ話しをされる方もおられます。
「同じ土に植えても、花によっては薬になるものもあり、ある花は毒になる」
「同じ水を飲んでも山羊は乳をつくり、ヘビは毒をつくる」と言います。
これは環境も大切ですが本人の持つ精霊(つまり本性)に拠るものがが有ることを意味します。
日本の住人は「和の国」という穏やかで豊かな国土に育ったために、平和で争いを好まぬ人が多い!
やはり長い歴史を見れば争いの中にあった時代もあります。
つまりどうも説明の付きにくい理不尽な状況という場面に遭遇する事も有る訳です。
そうした状態に陥った様な時に、人間は本来の精霊を発揮するのかも知れません。
新たな時代に出会う事となっても、やはり人々の本性というモノはどこか形となって現出してくるに
違いありません。
出来れば獣の様に他に噛みつくような存在にはなりたくないですよね!