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LIFE ESSay『泣くタイミングを逃した日』 MAY 06.2025-Mor.Tuesday

泣けそうな瞬間は何度かあった。

たとえば、コーヒーを淹れているとき。
まぶたの裏に、あの言葉が浮かんだとき。
あと、誰にも返事を送らなかった夜。

でも泣かなかった。
ていうか、「泣けなかった」に近い。



“泣くタイミング”って、実はものすごく狭い。

たとえば映画館で感動しても、
周りがザワザワし始めたら、もう泣けない。


それに、泣く準備みたいなものってある。

鼻かむティッシュの在庫とか、
誰にも見られてないことの確認とか、
次に予定がないことの確信とか。

泣くって、意外と手間がかかる。



それに私、「泣いたら負け」って思ってる節がある。
なんか泣くって、
“自分の感情に全部乗っ取られた証拠”って気がするんだ。


悔しくて泣くと、逆に悔しさが倍増するし。
寂しくて泣くと、「ほら、寂しいって認めちゃったじゃん」ってなるし。

泣いたら認めることになる。
自分が弱いこと、うまくやれてないこと。

だから、できるだけ泣かないで済むように、
私は強いふりをする。



でも、本当はただ、
泣くタイミングをずっと逃してるだけなのかもしれない。

いつだって、
ちょっと泣きかけて、
「今じゃない」とスキップして、
結局、どこにもたどり着けてない感じ。



この前、コンビニでアイス買ったとき、
レジのお姉さんに「袋どうしますか?」って聞かれて、

「あ、大丈夫です」って答えた自分に、
なんかすごくがっかりした。

本当は「あ、お願いします」って言いたかった。
手がふさがってたから。

でも、
「このくらい、がまんできるし」って強がった。


それがずっと心に引っかかってた。
小さなことだけど、
ああ、私はいつもこうやって、


「ちゃんと助けて」って言わないまま生きてるんだなって、なんか、泣きたくなった。



だけど、泣かなかった。

その代わり、シャワーを長く浴びた。

お湯に顔を向けながら、「泣いてもいいよ」って思った。

でも、涙は出なかった。



泣けなかった日は、
いつか泣く日のために、感情が蓄積される。

そう考えないと、やっていけない。

だから私は、今日も「泣きたかったけど泣かなかった私」に、

ちょっとした賞でもあげるような気持ちで、
チョコをひとかけら口に入れた。



人って、いつ泣けばよかったんだろう。

たぶん、
「泣かなくてよかったね」と言われる日のために、


私は何度も「泣くタイミング」を見送ってるのかもしれない。