
泣けそうな瞬間は何度かあった。
たとえば、コーヒーを淹れているとき。
まぶたの裏に、あの言葉が浮かんだとき。
あと、誰にも返事を送らなかった夜。
でも泣かなかった。
ていうか、「泣けなかった」に近い。
“泣くタイミング”って、実はものすごく狭い。
たとえば映画館で感動しても、
周りがザワザワし始めたら、もう泣けない。
それに、泣く準備みたいなものってある。
鼻かむティッシュの在庫とか、
誰にも見られてないことの確認とか、
次に予定がないことの確信とか。
泣くって、意外と手間がかかる。
それに私、「泣いたら負け」って思ってる節がある。
なんか泣くって、
“自分の感情に全部乗っ取られた証拠”って気がするんだ。
悔しくて泣くと、逆に悔しさが倍増するし。
寂しくて泣くと、「ほら、寂しいって認めちゃったじゃん」ってなるし。
泣いたら認めることになる。
自分が弱いこと、うまくやれてないこと。
だから、できるだけ泣かないで済むように、
私は強いふりをする。
でも、本当はただ、
泣くタイミングをずっと逃してるだけなのかもしれない。
いつだって、
ちょっと泣きかけて、
「今じゃない」とスキップして、
結局、どこにもたどり着けてない感じ。
この前、コンビニでアイス買ったとき、
レジのお姉さんに「袋どうしますか?」って聞かれて、
「あ、大丈夫です」って答えた自分に、
なんかすごくがっかりした。
本当は「あ、お願いします」って言いたかった。
手がふさがってたから。
でも、
「このくらい、がまんできるし」って強がった。
それがずっと心に引っかかってた。
小さなことだけど、
ああ、私はいつもこうやって、
「ちゃんと助けて」って言わないまま生きてるんだなって、なんか、泣きたくなった。
だけど、泣かなかった。
その代わり、シャワーを長く浴びた。
お湯に顔を向けながら、「泣いてもいいよ」って思った。
でも、涙は出なかった。
泣けなかった日は、
いつか泣く日のために、感情が蓄積される。
そう考えないと、やっていけない。
だから私は、今日も「泣きたかったけど泣かなかった私」に、
ちょっとした賞でもあげるような気持ちで、
チョコをひとかけら口に入れた。
人って、いつ泣けばよかったんだろう。
たぶん、
「泣かなくてよかったね」と言われる日のために、
私は何度も「泣くタイミング」を見送ってるのかもしれない。