
久しぶりに降った雨が、
アスファルトの匂いを立ちのぼらせていた。
駅の改札を抜けたとき、
私はふと立ち止まった。
どこかで見たような、
懐かしい後ろ姿が、
人波の中に紛れて見えたから。
約束なんか、していなかった。
お互い、そんな性格だった。
「今度会おうね」
なんていう、ありふれた言葉すら
気恥ずかしくて言えなかったあの頃。
言わなかったのは、
どちらかが寂しさに負けてしまったとき、
それを責めないためだった気がする。
人混みを縫うように歩いていく後ろ姿。
私は小さく息を呑んで、
でもすぐに追いかけることも、声をかけることもせず、
ただ目で追いかけた。
何年も会っていなかったのに、
一瞬でわかる。
あれは、たしかに、あの人だ。
背中に漂う、あの特有の静けさ。
言葉にしなくても、伝わってくるもの。
私たちは、約束をしないまま、
それぞれの時間を生きた。
何度も後悔した。
あのとき、ちゃんと話していれば。
あのとき、もう少し素直になっていれば。
でも、今になって思う。
あの距離感が、
きっと私たちには必要だったんだと。
無理に手を伸ばすこともなく、
無理に名前を呼ぶこともなく、
ただ、それぞれが自分の場所で、
静かに生きてきたこと。
雨に濡れたコンクリートの匂いが、
遠い記憶を呼び覚ます。
あの人と歩いた川沿いの道。
お互い、口数は少なかったけれど、
無言の時間が、不思議と心地よかった。
「またね」と言わなかったけれど、
また会える気がしていた。
そんな、根拠のない確信。
後ろ姿は、やがて人波にまぎれて消えていった。
私はそこに立ち尽くしながら、
心の中で、そっとささやいた。
――またね。
聞こえなくてもいい。
届かなくてもいい。
でも、たしかに私は、今、
再会を果たした気がした。
雨は小降りになっていた。
私は傘をたたんで、
濡れた歩道をゆっくりと歩き出した。
次に会うときも、きっと約束なんかしない。
でも、きっとまた、どこかで。
それでいい。