
かつて、あなたのすべてを理解していると思っていた。
癖も、仕草も、怒り方も、寂しがり方も。
目を見れば心が読めたし、言葉を交わさずとも通じ合う気がしていた。
けれど、今日、あなたの言葉を聞いたとき、
ふと、胸の奥に冷たいものが走った。
「この人は、本当に私の知っている人なのか?」
そんな思いが、音もなく忍び寄ってきた。
理解しあえることが、愛だと思っていた。
だから、必死で分かろうとした。
機嫌を取って、歩幅を合わせて、傷つけまいと神経をすり減らした。
けれど、それでもなお、すれ違いは起きる。
小さな溝は、いつしか谷のように深くなっていく。
理解できないことを恐れて、わからない自分を責めた。あなたを責めた。
どちらが悪いのかわからないまま、ただ苦しくなった。
それでも、思う。
本当に誰かを理解するなんて、もしかしたら不可能なのかもしれない、と。
たとえ家族でも、恋人でも、友人でも。
私たちは結局、別々の孤独を持ったまま、それでも近づこうとしているだけなのかもしれない。
わからない。
あなたのことも、私のことも。
でも、わからないからこそ、面白い。
わからないからこそ、知りたくなる。
わからないからこそ、そばにいたいと願うのかもしれない。
完璧な理解を求めることを、もうやめよう。
「わからないまま一緒にいる」という選択肢を、もっと大事にしてみよう。
わからなくても、
心を寄せることはできる。
わからなくても、
手を差し出すことはできる。
今日、あなたの言葉に驚いた私も、
たぶん、あなたにとっては、何度も「わからない」存在だったのだろう。
それでも、こうしてここにいる。
手放さずに、まだ、ここにいる。
わからないことは、悲しみじゃない。
わからないことは、
出会い直すための、静かなきっかけなのだ。

かつてあんなに近くに感じたあなたが、
今はもう、知らない誰かのように見える。
それは、悲しみでも怒りでもない。
ただ静かに、受け入れるしかない「変化」だった。