
――今朝の湘南海岸は、まるで私を待っていたかのように晴れ渡っていた”空”だった。
青空に切り取られたビルの輪郭。病院の横に広がる「セントラルパーク」──いや、私は勝手にそう呼んでいる。
本来は「中央公園」として通っているが、私にとってはもっと洒落た名前が似合うと思って、もう30年もこの呼び名を使っている。
この日、ここに吹いていた風は特別だった。
手術前、全身麻酔の説明を受けたばかりで、正直、少し脅された。身体も心もこわばっていたはずなのに、中央公園の風と日差しに包まれた瞬間、なぜか胸がふわりとほどけた。
「……あ、戻れる!」
そんな予感が、身体のどこかでそっと芽吹いた。
この1年半。私は「無と言う透明人間」だった。
身を隠し、息を潜め、目を閉じ、声も失った。
文字にすがりながら、物を書くというかすかな灯火だけを残して、自分という存在すら忘れかけていた。
けれど、今日は、確かに聞こえた。
心の深部で、音もなく、想像が動き出す気配が。 誰かが後押ししてくれているような、そんな気配が。
そして、私の中で眠っていた“創造”という名のエネルギーが、音もなくゆっくりと姿を現した。
創造と破壊を繰り返してきた私という人間に、
ようやく春が来たのだ。 それは季節ではなく、
魂が騒ぎ出す春の予感、感情の雪解け・・・
「二刀流でいいじゃないか」と、自分を許せた。
インテリアデザイナーとしての顔。
エッセイストとしての顔。
どちらかを選ばなければならないと、なぜ思っていたのだろう。
大谷翔平のように、好きなことを両方やればいい。 好きな道を、好きなだけ振り切って歩けばいい。
その切っ掛けとなったのが、湘南の海岸で出会った「二匹の犬を連れた」レディーだった。
瞬間に、私に“春”をもたらした存在として。
あの瞬間から、全てが動き始めた
ありがとう。心から、感謝です。
エピローグ
私は今、1年半ぶりに深く呼吸をしている。
無言でいた時間は、決して無駄じゃなかった。
沈黙は、私を削る時間ではなく、私を耕す時間だった。
物を書き続けたことで、内なる声が形を持った。 それが今、私を生かしてくれている。
「二刀流の私」──それが、これからの私のかたち。
2023年の師走に身をひそめ、
2024年を耐え忍び、
ようやく迎えた2025年の春。
この春は、私の“再起動”の季節。
そしてこの物語は、その始まりにすぎない……….