
心が豊かって、なに?
やたら使われるけど、何がどうなると“豊か”なのか、実はよく分からない。
たとえば、テレビで田舎暮らしの特集やってて、
土鍋でごはん炊いて「自然に囲まれて、心が満たされます」とか言ってる。
あれ見ると、「……ほんとに?」って思う。
土鍋じゃなくて、炊飯器の“早炊き”ボタンに救われてる身としてはね。
私の知ってる“豊か”は、もっと地味で、もっとガチャついてる。
買い物袋の中で卵が1個割れてた日。
帰ってきて「あーもう」ってなりながらも、
袋から取り出したチーズとじゃがいもで、なぜか美味しいスープができた。
それを飲みながら、、、
「あれ、今日、ちょっと救われたな」って思う。
それが私にとっての“豊か”だったりする。
あと、バス停で高校生が
「もう全部やだー!」って叫んでるのを聞いたとき。
「そうか、あんたも人生うまくいかんのね」って、ちょっと笑ってしまった。
なんか、その“うまくいかなさ”が、やけに人間らしくて、そういうのも“心が動く”ってことじゃないかな、とか思ったりする。
心の豊かさって、毎日花を飾るとか、日記を書くとか、ヨガで“自分と向き合う”とか、
そういうのが合う人もいるだろうけど──
私は、電車の中でふと横の人と同じタイミングでため息ついた時の、あの“変な共鳴”に笑える瞬間がいちばん救われる。
お金でもないし、成功でもない。
人と比べて勝った負けたでもない。
心の豊かさって、多分「わかる、わかる」って言える瞬間の数なんじゃないかな。
それを増やすために、今日も「割れた卵」みたいな日があっていいし、
「全部やだー」って叫びたくなる夜があっても、たぶん大丈夫。
エピローグ
心の豊かさなんて、えらそうに語ることじゃない。
たぶんそれは、「今日の自分、まあ悪くなかったかも」とか、
「もうちょっとだけ頑張ってもいいかな」と思える小さな納得の積み重ねなんだと思う。
高級なバッグを買わなくても、
オーガニック野菜じゃなくても、
冷蔵庫の中の余りもので作ったスープに、ちょっと癒されたりして。
そんな日があれば、それだけで、
「今日、ちゃんと生きた」って言えるんじゃないかな。
💭 サブの締め言葉案:
心の豊かさって、“いい感じに手を抜ける日”のことかもしれない。