

「人生は自己責任でしょ?」
そう言われるたびに、なんとなく胸の奥がチクリとする。
確かに、ある程度の努力や選択は自分で引き受けなければいけない。だけど——全部が“自分の責任”なんて、そんな単純な話じゃないと思う。
たとえば、親ガチャなんて言葉があるように、
自分がどんな家庭に生まれるかは選べない。
健康体に生まれるか、貧困か、虐待か、病気を抱えているか——それらは努力ではどうにもならない。
人生をスタートする「地点」が、そもそも人によってまるで違う。
それなのに、誰もが「同じルール」で評価されてしまう。
頑張ったかどうか。努力したかどうか。
結果が出たか、出なかったか。と!
でも、ほんの些細な「運」が結果を変えることだって、実はたくさんあると思う。
・タイミングよく求人に出会えたか
・偶然、親切な人と繋がれたか
・病気にならなかったか
・災害に遭わなかったか
・誰かが手を差し伸べてくれたか。
そうした「自分ではコントロールできないこと」によって、人生は左右されていく場合も多い。
運が良かった人は「努力の結果」だと信じたい。
運が悪かった人は「自分が足りなかった」と責めてしまう。
でもそれって、あまりにも不平等で残酷じゃないかな。
“運のせいにするな”って言葉は、ある意味「運が良かった人の特権」なのかもしれない。
もちろん、私も努力はする。
だけど、「誰もが平等に努力できる社会」なんて、幻想だと言うことも知っている。
だから、こう思うようにしている。
「うまくいかない人がいたら、“何かのせい”かもしれないと考えること」~笑
「“自分は恵まれていた”ことを忘れないこと」
「他人を、そして自分を、追い詰めないこと」
誰もが抱えている“見えない運の差”です。
それをちゃんと理解できる人になりたい。
人生は、努力と運のミックスジュースだ。
だからこそ、うまくいかない日があっても、自分を責めすぎないでいい。
たまたま流れが悪かっただけかもしれないし、
次は少し風向きが変わるかもしれない。
そして、誰かが落ち込んでいる時、手を差し伸べられる人間でありたい。
“自己責任”の壁を、少しだけ緩めて……..