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自分の想いを文字に置き換えて書くという行為は、逆に他人が書いた言葉の文字でも想いが読み取れる!!

6月6日に投稿したnoteの「つぶやき」の内容を少し深掘りしてお伝えしたいと思い、今一度書かせて頂きます。

 
6月6日付投稿
言葉を文字に変換する習慣は唯一無二の創造性が増す。
どんな時にも冷静になり、人が話す言葉の持つ表裏もどんな時でも自分を俯瞰で見えてくる。

人の矛盾や思考や道理まで透けて見える文字を書く行為が、脳内血流を刺激しながら自然体になり ストレスも調和出来る

そこが文章の面白さに通じる        


 
ここでは、LINEに付いての「やり取り」に於ける文章というモノを少し見て下さい。
LINEは何気なく書いていると思われますが、実はLINEなどに書かれる文字とは言えども、文章の「表裏一体」が面白いほど読み解くことが出来る様になりました。

 
勿論、私自身も、以前は可なり失敗も、お間違いも多々ありました!

 
その落とし穴は、スピード感で返信心しなければと思わせ「何気なく」小さい画面に映し出された「文字面」を瞬間的に判断し、同じように瞬間的に相手と同じ様に返信していましたから、じっくり考える事は無かったように思う。

 
しかし、日々言葉を連ねた「文章」を書くことで、思考回路の整理と、ゆとりと言われる「間」が出来、自分では気がついていなかった言葉が持つ「表裏一体の裏」の部分が読み取れる様になるから不思議です。

 
つまり、「裏」に関する文字は書かれてはいませんが、そこに隠された無意識の本心が分る様になれました。
 
アナログ時代がデジタル時代に進む中、「手紙」と言うアナログがメールやLINEに変わりました。
 

本来の手紙の時代には、
文字を見ながら何回も読み返し、時間を掛けて郵送します。
手紙が持つ本来の形式は「親書」と言われ、書き手の内容に関しても、息づかいや背景まで思い浮かべながら少なくても数日間掛けて書き、何度も読み返しながら誤字脱字は元より、本来の返事の内容にも相手の気持ちを考えながら差し出すモノが手紙です。

 
しかし、そんな悠長な時間を掛けない現代では、全てが利便性に頼り当たり前の様にポンポンと送信と返信を繰り返し、言い換えれば「会話」に近い感覚ですね
 
 
世界中がLINEだけではなく、似たアプリを利用しながら地球の空間を1日24時間、何十億、何百億と言う言葉が飛び交っています。

 
冷静に考えれば恐ろしい時代です。その結果、手紙や電話と言った手段も割愛され全てが地球上の空間に「電波」として文字が埋め尽くされています。
 

何でもかんでも「利便性」に頼り、人の出会いもLINE、別れ話もLINE、会社の辞表もLINEという強者まで現れる始末です?
 

特に最近ではLINEを利用した「なりすまし詐欺」の横行が「社会問題」化しています。元々SNSが出来たときも、知らない人と自由に繋がる事に不安が麻痺していことにも一理あるとも思われます。
 

何時の時代も話合いという素晴しい伝達方法があるにも関わらず、それらを端折ることだけは人間として今一度考える時間を共有して欲しいです。

 
時に、顔も見たくないから、話したくないから、合いたくないからと言う理由で、ボタン1つで「ブロック」「消去」の2ステップで全てお終いでは余りにも淋しいです。

 
本来は若者の特権と言われたモノが、今では老若男女全ての年齢層に蔓延している時代になり、この先にはどの様な世界が待ち受けていることやら
 

せめて大事な事は先ずは「話合い」が出来ないのであれば「手紙」其れも時間が無いのであれば、せめて「メール」止まりにしましょう。

 
一般的に「時代遅れ」と言う前に、人間としての「尊厳」が有るのであればの話ですが、尊厳が無い輩は、そもそも付き合うこと自体を考えるしか無いでしょうね(笑)

 
日々、言葉というモノを文章として、書くと言う事が尊厳というモノを大事にする事に通事ます。
薄っぺらい言葉には、「裏」と言う書かれない面が何となく感じてしまします。

 
しかし、本当に人生を掛けるような場合には、「合って」あなたの想いを言葉で表現する方が人間らしいです。
それも人それぞれに「タイミング」があります。
 

これらは、この先も変わらず「普遍的」なモノと思いたいです。


この件に関しては、出来る限り「つぶやき」だけでは説明しにくいと思い「テキスト」に書いてみました。