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弊社パウダーイエロー(有)の企業のHistory

1974年

東京・六本木/乃木坂に建築デザイン事務所 フライデーを設立。
幼少の期の夢である建築現場で日々建築知識を独学で研鑚。

<補足>
当時の年齢は確か、25歳位の若輩者です。社名は以前に勤めていた「テイジン」のデザイン室のチーフの竹内部長がネーミングを付けてくれました
由来は「ロビンソン・クルーズ」に登場する黒人の召使の名前より「フライデー」と命名。

仕事に関しては飛び込み営業で「なんでもやります!」的なエネルギーだけが取り柄で得た仕事で当時のお金で500万円(50年前):杉並区の方南町に合った2階建ての「喫茶店」でしたね。

1980年

単身イタリア・ボローニャへ渡伊。家具デザインの基本と基礎を独学で研鑚。

<補足>
当時、ある建築家の紹介から、イタリアの巨匠と言われた「ディノガビーナ」の確か7番目の弟子として潜り込み先輩の家にお世話になった日々です
その後3年ぶりに千駄ヶ谷の事務所に帰り仕事の無い日々を悶々としておりました。
当時、イタリアにいるときはスタッフに全てを任せていました。その間の仕事はそれなりにスタッフが行っていました、(笑)

1985年

単身アメリカ・カリフォルニアへ渡米。
アメリカのハイクラス住宅のデザインとマネージメントを独学で研鑚。

<補足>

父の友達(青学時代の友人)がカリフォルニアに神父さんとして長い間住んでいるの(アーバイン地区)の高級な住宅を視察目的で数々の家の内装や家具などの勉強。

1987年

東京・南青山に事務所を移転。
「リノベーション」と「インテリアコーディネイト」を融合させたハイクラスな住宅を造る。


帰国後、同時にアメリカで有名な「ガンヴィー人形」の日本国内でライセンスを取得していましたので、原宿、青山、広尾等に3店舗作りました。

当時は弊社フライデーと伊藤忠商事の契約で子会社に席を置いていましたので3つ程大きな仕事で3年間程お世話になりました。

1994年

湘南・茅ケ崎に「建築デザイン事務所」と(住宅のショウルーム)を併設して移住。

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社名をパウダーイエローに変更。同時にインテリア・ショップ「シェルピンク」をオープン。


建具を中心にデザイン住宅のあり方を根本的に変える「Kitchen collection」ブランドを確立。

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独自の建築スタイルで、後の「湘南スタイル」ブランドを確立させる礎となる。


その後、テレビ・雑誌等々の「取材」「講演活動」を開始する。

2004年

仕事の領域をパウダーイエロー独自の「湘南スタイルの家具」ブランドを世に出す。
「芦屋マダム」、「シロガネーゼ」と言われる時代に象徴される憧れマダムの御用達となる。

2014年

更なる進化の過程で、成熟した大人の本物志向でデザインを極める。


デザインの基本である直線と曲線を融合した新しい家具「Spazio Bianco 36/45」ブランド
を立ち上げ現在に至る。

2016年

2年間の沈黙を破り、オートクチュール限定品として京都の伝統・蒔絵師とコラボレーション。
今秋、「Spazio Bianco Japan」を東京デザインウィーク2016にて発表。


今後、家具を中心とした住宅デザインを「ライフワーク」として新作を精力的に発表。

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2018年

企業に対するブランディングデザインをサポート。初回は「空間音響デザイン」
ハイレゾ音響スピーカーシステムのエージェント契約にて新たなジャンルで音響デザインを取入れる。

2021年

創エネ事業における新たなジャンルはビルの窓を全て発電できる未来の「発電ガラス」

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2024年

インテリアデザイン業界に戻り、湘南スタイルの「最終章」とした「raku-style」を発表する。

全ての集合住宅向けに、「熟年層」を対象に断捨離後の住まい方。

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