Home

今日は父の事を、少し書いてみようかと思います・・・

名前は稲垣三夫:大正3年6月生まれですが、父が74歳の時に亡くなっています。
現在の歳まで生きていれば110歳になるでしょうか・・・
 
そです74歳は私の今の歳! 現在、今日、瞬間、自分の健康状態を考えても、真に受け止める想像力はまだありません。

この歳で膵臓がん逝くなんて、無念だったろうか?満足した人生か?

いずれにしても、ダインメッセージなどいえる状態ではなく、最期は集中治療室に数か月間でおせわになり、家族とも死に目に会う事なくこの世を一人で逝きましたから・・・

 
当然ですが、大正生まれで戦争経験者の父は一言で言って「ザ・昔の男」の象徴!
何にでも厳しく、箸の上げ下げから身だしなみ、言葉遣い、日常の全てに対して厳しく教育されたことは今でも覚えています。

 
そんな父が、」こと家の事に関しては隅々まで整理整頓を自分でやる人でした。
130坪の土地に母屋があり、私が小学校3年生くらいの時に広い庭に、離れとして、洋館建ての家を増築する時は先頭に立って、棟梁や職人さんに指示を出すくらいですから
余程、家に関しては興味があったことを覚えています。
 

しかし、興味は家もさることながら、インテリア(整理整頓)の商品まで事細かに自分で見つけては部屋をレイアウトしていた事の方が、私には鮮烈な想い出が数々ありました。

特に父は仕事で海外に行くことも多く、特にドイツにはレースの繊維に模様を付ける技術がありそれを国内で独占的に使用できるライセンスを取っていましたので・・・

そんな海外生活を経験する人々はまだまだ国内ではいませんでした。
当時は米国ドルが360円の時代ですから、多分、子供の私にはドイツのマルク等想像も出来ない時代です。

当時は多分に船旅がメインで、飛行機に関しては料金が高い時代ですが父は戦時中飛行隊かどこかにいましたの当然、飛行機です!

そんなこともあり、海外の出先時に、家具、照明器具、電化製品や小物に至るまで家の中は流石「洋館」に相応しいインテリアでした。

注釈)、写真は洋館の新築時に母と二人で撮影した写真ですがよ~く見ると!
背後にマントルピース(暖炉)が備えておりそれも天然大理石仕様で作られています。


注釈)当時の写真に写る年齢は40代半ばと思いますから約65年前位の撮影でしょう。
 
兎にも角にも間取りが凄かった!
1階の半分は父の書斎。 その反対側に男兄弟4人を2人に分けて2部屋を配し、2階部分は屋上テラスが半分あり、他の半分が長女の部屋(男4人分と同じ広さ)。ちなみに屋根は赤い色でしたね。

 
まさしく、長女は下に男4人がいると言う事ですから子供連中の長です(笑。
何に付けても父は長女には滅法甘い育て方をしており、男兄弟4人組は軍隊方式です。
 

お陰様で男兄弟は誰一人サラリーマン経験もなくフリーランスな生き方をしてこれたのも父のお蔭です。因みに、当時の父に対する呼び方は、「お父様」母は「お母さま」と呼んでいましたね!

今じゃ考えられない呼び方です。当時は一般的に、父ちゃん、母ちゃんと呼ぶ時代に?
 
父のもう一つの顔は?
言わずと知れた「お妾さん」を何人も囲っていました。
現代に於ける「パパ活」レベルとは比べ物になりません。
 
実際に子供たちにも紹介する事もあり、有名な女優のパトロン(主に着物と住宅を提供)にはじまり~
芸者にに至っては、銀座・新橋を中心に、関西圏では先斗町で舞妓の水揚げまでお世話して、芸子になれば、ご贔屓筋専門の黒板塀に囲われた割烹料理店まで持たせていましたから、
それはそれは豪快な人生!
 

こんな時代ですから、豪快に遊び、豪快に仕事をして、晩年は人が好過ぎて騙されてと~
良い事と悪いことも含めた豪快な人生を送った事と思います。
 

よって、子供たち5人衆は反面教師になり浮気や愛人は誰も作らず今日に至っております。
 
そんな父の影響を子供のころから受けていましたので、現在のインテリアデザインの道に進んだことも頷けます。

この一連の環境が50年前より続き現在の、
『raku-style』の住まい方デザインに継承!

raku-style – POWDER YELLOWraku-style 楽スタイル 『家が持つ不思議な力』! 生活環境の良し悪しが人間の脳に影響を及ぼします。人生の『幸福/powderyellow.jp

画像