Home

日本建築の礎は千利休無くしては語れない。今で言う『内と外』の繋がりを見事に一体化させた日本の名建築家と思う名匠です。

冒頭に申し上げますが、私のお話は概要を述べるに辺り、細かな点は大幅に省き真実の事に対して私見の感想を書いております。もしも詳しく知りたい方はご自身で色々と調べて下さい。それが納得される要因となります。

その昔に聞いたお話の記憶ですが、千利休が茶室を完成させた時に利休は宇宙空間を意識した建物を創造したと!?

それが建築物の内なる部分に、外なる庭の風景までを意識した庭園を創造した内なる世界と外に広がる言わば宇宙空間までを考えていたとは驚きです。

現代の住宅では「あたり前」と思いがちですが、一般的な面から言えば当たり前の事ではなかったのです。このあたりの洞察力が、世界にもレオナルド・ダヴィンチ」という天才が同様に存在していました。

レオナルド・ダビンチは逆に内なる世界に目を向け、医学的に人間の解剖学に充てる書籍を出しています。

ともに戦国時代を生き抜いた二人ですが、千利休は宇宙空間へと外に向かう創造し、方やレオナルド・ダビンチは人間の内なる宇宙に向かい共に時の権力者との関係に悩む時代に生まれてきた世界的な歴史上の人物です。

現代を生きる私は個人的に利休の日本における建築界に多大な功績に賞賛しております。

現代の住まいにおけるゾーニングの根幹は利休が既に500年前よりに構築していた事だけでも現在の建築家を遥か凌ぐ才能を発揮していたとは驚きを隠せません。

特にシンプルですが宇宙空間を意識に持って発想する「起きて半畳、寝て一畳」の根幹に触れる鋭さは見習う所が非常に多くありました。

今回の『raku-style』の基本コンセプトも利休の思想から学んでおります。

人間は「奢るなかれ」に繋がるシンプルなコンテンツです。

これらを全て含め「モノと心の断捨離」を追求した結果『raku-style』に辿り着きました。

<参考データ>

千利休の生い立ち。千利休は1522年誕生~1591。75歳に自害で没。和泉国(現在の大阪)堺商人・納屋衆田中与兵衛(なやしゅうたなかよひょうえ)の子として生まれました。 本名は田中与四郎(たなかよしろう)、号は宗易(そうえき)。

レオナルド・ダビンチの生い立ち1452年誕生~1519年。67歳没。公証人である父「セル・ピエロ」と、農家の娘である母「カテリーナ」の嫡子(愛人の子)として、フィレンツェ近郊の田園地帯「ヴィンチ村」で生まれました。