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賃貸派の私が振り返る55年の履歴書!時代と環境を求めて自由に住む家の人生ものがたり!

最近、ふと考えたことは、私の人生における『家』捉え方とは?

京都の高校を卒業後、東京の大都会へ夢を持って来たことを思い出します。

大勢の人の中で孤独感を味わうと言う洗礼を受けながら、防御と知恵の中で、大人の生き方を学んだ六本木族の大学時代。

55年前には、六本木は東京で『田舎』と言われていた時代。

卒業後は社会人になり『西麻布』へ、その後、結婚を機に『世田谷』『千駄ヶ谷』と続き、

まさかの離婚を機に『銀座』『赤坂』と移り行き、再婚と同時に再度『世田谷』で2回引っ越し、その後、湘南の『茅ヶ崎』で3回の引っ越しと考えて見れば、住まいだけで何と、12回も引っ越したことになります。(笑

まるで、『遊牧民』の様に自由を求めて、心の思うままに、逆らう事なく人生を謳歌。

時には、人生は常ににつまづき、立ち上がりの『七転び八起き』!

しかし、その都度、支えになっていたのが『家』でした。

自分がどんな時にも優しく包んでくれて、安心と安全を確保してくれていたのが『家』

それらの空間を作り出していたのは誰でもなく『自分』が創り出した空間で、

思う反面、どんな環境で有ろうとも、瞬間と直感のセンスで『心地よさ』を作り出す能力だけは常に兼ね備えていました。

子供時代も負けじと劣らず自分の『部屋』は、自分が好きな部屋に模様替えを常にしていた事も思い出します。(笑

お蔭で、小学校の通知表には6年簡に渡り(落ち着きがない)と記載されていました。

本人は、小学生のころより世界中どこに行っても生抜く自信は持ち合わせてた気がします。

人生は『無情』であるがゆえに、生きてる間は好きな事や楽しいことに邁進する人生。

同じ人生、後悔したくないと言うか要は好奇心が旺盛な事だけは今でも変わりません。

いつも『答え』は一つじゃないという頭の中で(妄想)生かされてきました。

人間は生きていれば必ず『夢』や『希望』があります。

それを追い続け、どんな時にも決して諦め無る事無く、少しの勇気を出せば世界観は変わります。

世間的に言えばダメ人間といわれていても、夢と希望だけは諦める事無く死ぬまで持ち続ける生き方だけはしたいと思っています。

この世に生を授かり、誰かの為に自分の感性がきっとどこかの誰かに役立つと思い続けて

お陰さまで、過ぎまでには廻りからインテリアデザイナーと呼ばれる様になりました。

人生は山あり(上り坂)谷あり(下り坂)と言いますが、実はそんな単純な人生ではありません。

人生は『無情』と言う隠された言葉がこの世にあるように、『まさか』が隠れています。

この『まさか』が人生の無情でありお落とし穴ではないでしょうか!?

自分の住む『家』は、1年365日一時も休むことなく、忠実にあなたと共に生きているパートナーです。

あなたの『家』はいつでもあなたを知り尽くしています。

この様に考えると『家』も生き物です。

世間では、私の事をインテリアデザイナーと持て囃していますが、本人は入たってそんな気持ちは『微塵』なく、単に好きなことをしているに過ぎない人に過ぎません。

但し、人生における『天職』だと思っている事だけは確かです。

次回は、人生と音楽に付いてお話します。