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今だからこそ”明日に架ける橋”の歌詞の本当の意味を考えて見る最良の時では無いかと思います!

現代にいたっては、世界中がオミクロン株と言われる変異株による一大協奏曲如きの騒ぎよう!

国民は既に2年以上前よりお国指導のもとで規律正しくしているが、時折お間違いをするのはお偉方!

お粗末極まるエリート意識か、それともコロナでお金が儲かる仕組があるかのような裏を思わせる輩!

今こそ真実の真相はなにか?

下記に記した歌詞は、今の世相にも当てはまる事が言えるような気がしています。

元来、この歌は1970年代に南アフリカのアパルトヘイトを無くす意味で書かれた詩ですが・・・

時代が変われど、意味合いとして今こそ一番大事なモノを守り抜く一人一人の心の愛で互いに助け合い

国では無く、人にアナログで接して「愛」を分かち合うことが、馬鹿げた細菌感染を乗り越える術で

有るような気がします。

国民は皆、疲れ果てて自分の居所が無く不安でいっぱいです。

そんな時だからこそ涙を払ってくれるのは、アナログで逢うことが出来る家族や友人・知人です。

そうすることで、困難な上に掛かる未来の橋が見えてきます。

それが出来るのが家族であり友人・知人です。

その先には、必ず希望があり夢が現実の物となりますから・・・

困難と思われる橋を渡りましょう!そうすれば輝きの日が差しています。

その輝きを見つけるのは、あなたの感性を研ぎ澄ませば、必ず気づきます。

もし君が疲れ果てて、ちっぽけに感じたり、涙が溢れてくるときは、僕がそれを拭い去ってあげよう。

僕は君の味方さ、つらい時が来て、友達がいなくなってしまった時も、困難の上に架かる橋のように
僕がこの身を捧げよう、困難の上に架かる橋のように、僕がこの身を捧げよう。

君が落ち込んで、通りをさまよい、一日の終わりがつらく感じるなら、僕が慰めてあげよう
僕が君の支えとなろう。

闇がおとずれて、苦痛が取り囲んだとしても、困難の上に架かる橋のように、僕がこの身を捧げよう
困難の上に架かる橋のように、僕がこの身を捧げよう。

こぎ出すんだ 銀の少女よ、こぎ出すのさ、今こそ輝く時、君の夢は続く道の先、あの輝きを見るのさ

もしも友が必要なら、僕がすぐ横にいるから、困難の上に架かる橋のように、僕が安らぎを与えよう
困難の上に架かる橋のように、僕が安らぎを与えよう。

この歌は1960年代に、ユダヤ系アメリカ人のサイモン(ポール・フレデリック・サイモン)と

アート・ガーファンクル(アーサー・アイラ・ガーファンクル)の二人のデュオで歌われた歌です。