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本質的に「優しい日本人と優しくない日本人」がいるね!と思っている様なので、日本文化の本質とは?何かを調べて見ました!

人は皆、自分と違う。それが自然で普通の事

同じと思う事で不満になり、喧嘩や別れが訪れる。詰まらない思考は止めて

折角、この星で見つけた、80億人の1人なんだから!

全く同じことを感じて、私自身も日本文化と言われるものを真剣に考えて見ました。

日本では、道端に落とした財布や鞄などは必ず交番に届けられており、その後必ず落とし主に戻ってくると言うように治安が良いくにです。お店や道行く人も新設でお店のサービスも丁寧で礼儀正し所が多く細かいところまで配慮が行き届いてることが多いです。

 

しかしその一方で、驚くほど冷たく不親切な場面に遭遇することも珍しくありません。

電車に乗った妊婦さんを見ても見て見ぬふりする事も、年寄りが電車で立っていても席を譲らずに寝たふりをするとは、、、時には道に迷っている人を見ても、知らぬ存ぜぬ通り過ぎるとか・・・

 

フランスにいる兄は、欧米圏に旅行する機会が何度もあるがが「日本の方が優しい」と感じる場面と一般的な海外では「日本よりも優しい」と思う場面はどちらも同じくらいあるよと!

 

特に不親切だと思うのが、街中で見知らぬ人に対する振る舞いです。後ろの人のためにドアを開けたまま押さえて待っていたり、店を出たところで路上生活者の方にお釣りを渡したり、店員さんにちゃんと「Thank you」と言ったり。そういう行為をアメリカやヨーロッパで何度も見かけますが、日本ではほとんど見たことがないねと・・・

 

なぜ日本人は、ある特定の場面では不親切になってしまうのか?

面倒事に関わりたくないからだとか、人見知りだからだとか、それで結論付けてしまうのでは少々浅すぎる気がしますね。

 

そこで日本文化論の名著として名高い『菊と刀』を読んでみると、そのヒントを見つけることができました。

概略としては日本では、迷惑がられずに恩を受け入れてもらえるのは運のいい場合である。

 

事故があったとき、日本の街頭には人だかりができる。だが群衆は手をこまねいて何もしようとはしない。それは別段、率先して行動する力を欠いているからではない。

一般人が無用の手出しをすると、助けられた側は恩を負うことになる。それが分かっているから手を出さないのである。

そう、この「恩」という外国語に翻訳し難い独特な概念が、時に日本人の親切心に、おそらくは無意識下においてブレーキをかけているのではないでしょうか?

 

「恩は万分の一も返せない」。恩は重荷である。

「恩」というのは、とてつもなく重く大きな「借り」であり、恩を受けた以上はどんなことをしてでも返さなければなりません。時を経ても、借りが減るということはありません。にも関わらず、「恩」は返しても返しても完済できないという、非常に厄介な代物なんですね

 

金銭の貸し借りのように、同じだけ返せばそれで終わるようであれば簡単なことなのに「恩」というのは完全に返すことができない、なのに返さないと「恩知らず」「礼儀知らず」とされてしまう。

 

その狭間には「あなたから恩を受けましたが、今の経済状況では恩返しをすることができません。このような立場にいることを心苦しく思います」となる訳です。

 

日本語で感謝を伝えるときに言う「ありがとう」は、「有り難う」であって「Thank youではないのです。お礼として言う「すみません」も「申し訳ありません」も「かたじけない」も、自分が何か悪いことをしたから謝っているのではなく、不本意ながら恩を返すことができないということを詫びているのです。

 

親や先生のように、相手が自分より明らかに目上の立場の親しい人であれば、恩を受けることにそれほど抵抗はありません。その相手からすれば、自分は施しを受けるべき立場にいるわけで、しかも、多少時間がかかってでも、万分の一も返せないとしても、素直に受け取ってもらえないとしても、恩返しをしようとすることはできますから、少なくとも「恩知らず」という不名誉からは逃れうるわけです。

 

しかし、友人や知人、時には互いに見ず知らずの他人から受けた恩であればどうでしょうか?
それがたとえハンカチを拾ってもらった程度のことだったとしても、その恩は一生返すことが叶わないのです。実際にはそこまで重く考えることはないと思いますが、実際に抱く必要のあるものよりも重い何かを抱えてしまうのは間違いないように思えます。

 

だから、日本人はある特定の状況では自ら率先して手を差し伸べることに抵抗感を抱くのであて、それを軽率に受け取ることついても積極的にはなれないのです。

 

そういうことに気が回っていない親切な行為は、「優しい」を通り越して「恩着せがましい」というレッテルを貼られてしまう可能性すらあります。
急速にグローバル化・近代化が進んだ今の社会においても、少なくともこれを読んでいる皆さんが「確かにそうかもしれない」と感じるくらいの恩」の文化は、我々日本人の心に深く根付いているはずです。

 

では、そんな「恩」の文化に生きる私達は、どうすれば優しくできるのでしょうか。

 

私は、「恩」という日本文化を否定したり批判している訳ではありません。

悪い文化だ!外国に劣っている!捨てるべき!などとも少しも思っていません。

そう言ってみたところで、日本人の文化と言うモノはそう簡単に変わらないからこそ文化なのです。

 であれば、それを肯定した上でひと工夫する必要があるように思います。

要するに、「恩着せがましく」ならないようにしてあげればいいのです。

 

それには2つの方法が考えられます。
「返すことのできない恩を受けてしまった」と感じさせなければいいので「返す必要が無い」と伝えるか、「返すことができる」と伝えるか?です

 

「これは自分のためにしていることなので、むしろ素直に受け取ってもらえた方がありがたいです。だから返す必要もありません」という場合と

 

例えば、階段で重い荷物を運ぶのを手伝ってお礼を言われたときに「夏に向けて体鍛えてるんで、むしろありがとうございます!」なんてことを言えば、その施しは自分のためにもなっているのでそれで完結していて、むやみに「恩」を感じる必要もないということにできます。

 

対して、「これは多分、少しも返せない恩ではなく、返済可能な単なる貸し借りです。重く捉えず受け取ってもらって大丈夫です」ということ。

これは、全く面識のない他人同士では使いにくそうですが、例えば、「すみません、私のためにこんなことしてもらって。」に対して、「いえいえ。代わりに今度ランチでもご馳走してくださいね。」と冗談交じりで答えることで、その「恩」は返済可能な「貸し借り」であるかのような印象に変わり、受け手の申し訳なさを軽減させることができる気がします。

 

受け手が感じる「恩」の重みを軽減させようとするひと言の気遣いは、あると嬉しい日本的な優しい配慮であり、「優しいけど恩着せがましくはない人」になるためのコツかもしれません。

やはり結論としては、兄が住むフランスと日本の文化の相違に他ならないと思いました。

また、私が勧める住まい方の『raku-style』にも、多分文化の違いがこの先出て来るのでしょうね
日本人同士でも文化の違いとは、私が思うには、文化ではなく「感性」「思考」の違いと思います。

それ故に私の想いをコラムにも沢山書いていますので良くご理解頂てからご相談下さいませ。
コラムは下記よりご覧頂けます。