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Real Dystopia 05『自由意志かデータか』MAR 07.2025-Nit.Friday

21世紀に入って、人間はかつてない自由を手に入れた。
好きなものを選び、好きな場所に住み、好きな生き方を追求できる。

——少なくとも、そう思わされている。

だが、もしそれがすべて幻想だとしたら?

人間の「自由意志」など、実は最初から存在しなかったのではないか。

生まれた瞬間から、性別、家庭環境、遺伝子、教育、経済力といったデータに支配され、選択肢は限られている。

「自分で選んだ」と信じているものも、実は社会やアルゴリズムによって巧妙に誘導されていただけなのかもしれない。

たとえば、あなたが今使っているSNS。

スクロールするたびに、アルゴリズムが最適化されたコンテンツを流し込む。

あなたの興味、価値観、政治思想さえも、データに基づいて変容していく。

それを「自分で選んだ」と言い切れるだろうか?

人間の行動は、あまりにも単純だ。

広告代理店は、どのようなキャッチコピーを出せば人が財布を開くかを知っている。

金融機関は、どの金利なら人がローンを組むかを知っている。

政府は、どのような政策なら支持率が上がるかを知っている。

すべてはデータによって導き出された数値の世界だ。

仮に、100万人分のライフログを解析すれば、その中で「成功する人」「犯罪を犯す人」「政治的にどの思想に傾くか」まで、かなりの精度で予測できる。

これを突き詰めると、未来に起こるあらゆる社会現象は、統計学的に説明できることになる。

ならば、「自由意志」など本当に存在するのか?

私たちは、自分の意志で人生を選んでいるのではなく、データによって導かれた選択肢をなぞっているだけではないのか?

たとえば、AIがあなたの過去の購買履歴、移動履歴、交友関係、検索履歴を分析し、「あなたが5年後にどんな仕事をしているか」「どんな家に住み、どんな生活を送っているか」まで予測できるとしたら、それを「未来予測」と呼ぶのか、「プログラムされた人生」と呼ぶのか。

人間が「自由」だと感じるのは、データの外側にあるほんのわずかなランダム性の部分にすぎないのではないか。

それでも、私たちは自由に生きていると信じていたい。

だが、本当にそうなのか?

この社会では、自由とは、選ばされることを知らずに選んでいる状態を指すのかもしれない。