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PARODY Essay『官僚完了 〜国を動かす?いや、自分の人生を動かす時だ』

霞ヶ関という場所

東京には、どんなに朝が早くても、どんなに夜が遅くても、絶えず灯りが消えない場所がある。それが霞ヶ関と言われる巣窟の地だ。

「この国を支えるために生きる」
かつて、そう誓ってこの場所へ足を踏み入れた。

誰もが優秀だった。東大、京大、一橋、早慶。肩書きがズラリと並ぶ。
入省したその日から、背広を着たエリートたちは自らを「官僚」と名乗り、
誰かが作った未来のために、終電間際の地下鉄に揺られる。

霞ヶ関に流れる時間は独特だ。
朝9時に始業のはずが、誰もそんな時間に仕事を始めてはいない。
前日が終わっていないのだから、今日が始まるわけがない(笑)

24時退庁、27時帰宅、5時起床、8時出勤。
それがルーチンとなった頃には、人間らしさなんてとっくに手放していた。

「俺たちは国を動かしているんだ」

そう思うことでしか、この生活を正当化できなかった。


「官僚、完了」の瞬間

いつからか、ふと気づいた。

国を動かしているつもりが、気がつけば自分の人生が動かなくなっていたことに。

家族と食事をした記憶がない。

休みの日に何をしていたか思い出せない。
そもそも、最後にまともな休日を取ったのはいつだったか。

ある日、同期のイシハラが言った。

「俺たち、何のためにここにいるんだろうな」

笑いながら口にした言葉だったが、その裏に滲んだ疲れが、すべてを物語っていた。

次の瞬間、俺は決めた。

「官僚、完了だな」

イシハラが驚いた顔をした。

「マジか?」

「マジだよ」

「お前が辞めたら、この国どうなるんだよ」

「知らねえよ。国の前に、俺の人生の方が大事だ」

イシハラは苦笑いした。

「……カッコつけやがって」

俺は笑ってグラスを掲げた。

「乾杯しようぜ。“官僚完了”に」


退庁届にサインする日

役所の机の上に、退庁届を置いた。

「俺、辞めます」

上司は書類に目を落とし、深いため息をついた。

「……もったいないな」

「もったいないのは、俺の人生の方ですよ」

上司は何かを言いたげだったが、結局何も言わずにサインした。

俺はその紙を受け取ると、ネクタイを緩めて外を見た。

霞ヶ関の空は、今日もビルの隙間からわずかに見えるだけだった。

だが、これからは違う。

俺は、俺の人生を動かす。


風が吹く方へ

辞めた翌日、俺はコーヒーを淹れた。

平日の朝に、時間を気にせずコーヒーを淹れることが、こんなにも贅沢なことだったとは知らなかった。

何者かにならなくてもいい。

肩書きがなくても、誰かに評価されなくても、俺は俺のままでいい。

霞ヶ関を動かすことは、もう誰かに任せた。
俺は、これから自分の人生を動かす。

窓の外を見ると、風が吹いていた。

その風の向かう先に、俺は歩き出すことにした。


エピローグ:「官僚を辞めるということ」

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霞ヶ関を去る決断—— それは敗北ではなく、新たな人生の始まりだった。

「国家を動かすこと」と、「自分の人生を動かすこと」は、必ずしも同じではない。

官僚として働くことは、決して悪いことではない。

そこには使命感があり、誇りがある。
誰かがこの国を支えなければならない。
その「誰か」になろうと志した者たちが、霞ヶ関には集まる。

だが、どれほど優秀で、どれほど努力しても、
自分の時間を削り、人生を犠牲にしなければならないのなら——

それは、本当に「正しい生き方」なのだろうか?

仕事がすべての人生は、人生のすべてではない。
国を動かすことが、自分を犠牲にする理由にはならない。

官僚を辞めることは、「負け」ではない。
それは、自分の人生を取り戻すための「決断」だ。

この物語の主人公は、「官僚完了」 を選んだ。
やるべきことをやりきり、納得の上で次の道へ進む。

それは決して、敗北ではなく、「卒業」なのだ。

世の中には、「やめること」を否定する空気がある。
「せっかくのキャリアを捨てるのか」
「ここで踏ん張れば未来が変わる」
「お前が辞めたら、この国はどうなる」

だが、そんなものは幻想だ。

本当に変わるべきなのは、「働く側」ではなく、「働かせる側」だ。

官僚は、国のために働く存在ではない。
国が、彼らのために存在すべきなのだ。

この物語を通じて、誰かが考えてくれたならいい。

「俺の人生は、誰のためにあるのか?」と。

霞ヶ関を去ることが、「終わり」ではない。
それは、新しい人生の「始まり」なのだから。

——これで、俺の思いも完了した。

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