
「努力は報われる」なんて、誰が決めたのか
「努力すれば夢は叶う」
「頑張った分だけ、結果がついてくる」
そう信じて、がむしゃらに頑張ってきた。
でも、世の中はそんなにシンプルじゃない。
学生時代、成績トップの子が第一志望に落ちた。
必死に練習していた子が試合でレギュラーを外された。
仕事で誰よりも努力したのに、同期の誰かが先に昇進した。
努力しても、運がなければ何も変わらない。
努力しなくても、運がよければうまくいく。
そんな理不尽な現実にぶち当たったとき、どうすればいいのか。
報われない努力が生まれる理由
努力には二種類ある。
- 報われる努力 → 成果につながる努力
- 報われない努力 → ただの自己満足
がむしゃらに頑張るだけではダメだ。
問題は、「どこで・どう頑張るか」だ。
同じ努力でも、評価される環境と評価されない環境がある。
努力の方向を間違えると、結果につながらない。
受験でも、仕事でも、人間関係でも、
努力が正しく評価される場所にいないと、どれだけ頑張っても意味がない。
「努力」だけでは変えられないものがある
努力が報われない理由は、大きく分けて三つある。
① 努力の方向が間違っている
たとえば、営業の仕事で「資料を完璧に作る」ことに時間をかけすぎて、
肝心の「顧客との対話」をおろそかにする人がいる。
いくら頑張っても、本質を外していれば評価されない。
努力しているのに結果が出ないときは、「何に時間をかけるべきか」を見直す必要がある。
② 環境が努力を評価する仕組みになっていない
どれだけ努力しても、そもそもその努力が評価されない環境では意味がない。
能力ではなく年功序列が重視される会社
努力よりも「誰に気に入られるか」で決まる職場
受験で努力したのに、たった1点差で不合格になる制度
頑張り方が悪いのではなく、「努力しても評価されない場所にいる」ことが問題だったりする。
③ 運がすべてを左右することもある
成功者の話を聞くと、みんな努力の重要性を語る。
「ここまで来るのに、どれだけ努力したか」と。
でも、その人たちと同じ努力をしたら、誰もが成功できるのか?
答えは、NOだ。
成功者の多くは、
「たまたまチャンスが巡ってきた」「運よく成功した」ことを語らない。
努力ももちろん大事だが、運が大きく影響するのは間違いない。
努力の価値とは何か
では、努力する意味はあるのか?
ある友人が、長年の夢だった独立を目指していた。
昼は会社で働き、夜はビジネスの準備をし、睡眠時間を削りながら毎日を過ごしていた。
「すごいな、お前。そこまで努力できるなんて」
そう言うと、彼は笑った。
「いや、努力してるつもりはない」
努力している感覚がないほど、やらずにはいられないこと。
もしかすると、「報われる努力」 とは、そういうものなのかもしれない。
「努力は報われる」より、「報われなくても続けられるものを見つける」
世の中には、努力が報われないことが山ほどある。
でも、「努力したこと」が無駄になるとは限らない。
どこで、どのように頑張るのか。
それを見極めることができれば、
「報われるかどうか」に振り回されることはなくなる。
努力とは、「正しく頑張る力」 なのかもしれない。