孤独を背負う男
「彼、私は生きる資格があるのか?」
その問いが、心の奥で何度もこだました。
彼の人生は、何度もどん底を経験している。けれど、そのたびに這い上がってきた。自分を支えてくれる人間は多くはない。だが、その孤独の中でも彼は生きてきた。
彼は、自分のことを「夢見がち」だという。自分を愛しているが、愛し方がわからない。だからこそ、気づけば大切な人を遠ざけてしまう。
「家族の愛し方がわからない」彼はそう言った。
それは、幼少期に親から十分な愛情を受けた記憶がないからかもしれない。だからこそ、愛する方法を知らないまま大人になった。気づけば、愛し方がわからないまま、娘との距離ができてしまった。
3歳で別れた娘との再会
彼には、3歳で別れた娘がいる。彼女とは25年の歳月を経て再会した。しかし、それは思い描いていた「感動の再会」ではなかった。
娘とのLINE。
「お父さん、あれからずっと考えたのだけれど、やっぱり連絡先は貸せないや。」
「小さい頃にお父さんという存在を失って、私は人生で最も傷ついた。でも、再会してからもお父さんは自分のことばかり話していて、何度も寂しい思いをした。」
「パートナーにも去られて頼るところのないお父さんに何かできればと思ったけれど…私は何もできないし、何かあった時に連絡が来るのが怖い。」
「極めつけは、生年月日。お父さんにとって、私が生まれた日はその程度のことなのだなと、とても悲しかった。」
「これ以上辛い思いをしたくない。泣くのも嫌です。」——彼女の言葉は、重く、冷たかった。
何もかも手遅れだったのか。
それでも、彼は彼なりに娘を愛していたつもりだった。けれど、娘にとってそれは「愛」ではなかった。
「愛された記憶がない人間は、愛し方がわからないのかもしれない。」彼はそう呟いた。
60代で恋に落ち、そして失う
「人は何歳になっても恋に落ちる。」
彼は60代で恋をした。しかし、その恋もまた手放すことになった。
パートナーは去った。彼女が離れた理由を、彼は「お金がなかったから」だと思っていた。けれど、娘は言った。
「お金の問題じゃないよ。お父さんが相手の心に寄り添う関わりをしてこなかったからだと思う。」
その言葉に、彼は息をのんだ。
——愛は「与えられるもの」ではなく「与えるもの」なのか。
この歳になって、ようやくその意味を知った。
孤独の中で、それでも生きる意味
彼は、人生で何度も孤独になった。
そして、そのたびに這い上がってきた。
「極限まで行くと、孤独はポジティブに変わる。」
彼はそう言った。それは、孤独の先に希望を見つけたからかもしれない。
彼は、変人なのかもしれない。夢見がちで、自分大好きな人間なのかもしれない。
けれど、それでも生きている。生きることを諦めていない。
「孤独の繰り返し」ではなく、「何かを掴むための過程」なのかもしれない。
彼は、また新しい春を迎えようとしていた。
捨てるべきものは捨て、残すべきものを残しながら。そして、今日もまた、夢を見るのだろう。
春が来るたびに、また何かを掴むために・・・
未来への決意 〜捨てるものと残すもの〜
彼は決めた。
今まで自分の手にしていたものの中で、 「もう必要のないもの」 と 「これから本当に大切にすべきもの」 を見極める。
捨てるもの:
「過去の未練」
「言い訳や後悔」
「孤独だから仕方ない」
「諦める心」
残すもの:
「まだ見ぬ未来への挑戦 」
「本当に大切に思える人たちとのつながり」
「これまで積み上げてきた経験と学び」
そして彼は、新しい人生の第一歩を踏み出すために、 これまでの人生で初めて、本気で「人を愛すること」を考え始めた。
もう、愛し方がわからないとは言わない。
「愛は与えられるものではなく、与えるもの」
その意味を、これからの人生で体現するために。まだ遅くはない。
春の雪解けとともに、彼の新たな旅が始まる……